焼き鳥店「山笠」終幕 博多の男衆集い35年 28日、はなむけの手一本

博多で35年にわたって親しまれてきた「炭火やき鳥 山笠」の調理場で働く松原好一郎さん(手前右)=福岡市博多区店屋町
博多で35年にわたって親しまれてきた「炭火やき鳥 山笠」の調理場で働く松原好一郎さん(手前右)=福岡市博多区店屋町
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 博多祇園山笠を愛する男たちに親しまれた福岡市の焼き鳥店が28日、35年掲げたのれんを下ろす。「炭火やき鳥 山笠」(博多区店屋町)。開店当初は山笠の男衆に「なんか、この店名は」「山笠ばなめとるとか」とにらまれたが、今では「閉店したら、俺たちどこで飲めばいいと?」-。惜別の声が絶えない。

 1982年3月、脱サラした松原好一郎さん(63)が冷泉公園のそばに開店。店名は中央区出身の松原さんが「博多と言えば山笠」と軽い気持ちで付けたが、これが物議を醸した。

 「誰に断ってこんな店名ば付けたとや」。予想もしなかった猛反発に困り果てた。すがる思いで相談した土居流(ながれ)の幹部のとりなしで抗議は収まったものの「ここまでやってすぐに店を閉じたら困るばい。息の長い商売ばやりんしゃい」と念を押された。「今なら絶対に付けられない名前だった」と振り返る。

 以来、毎朝7時から仕込みをして、午後11時半ごろ帰宅の途に就く日々。利用しやすい料金だったこともあって連日満席。店の名前も徐々に認知され、山笠関係者の会合に利用されるようになった。窮地を救ってくれた土居流から、山笠に参加するようにもなった。

 ただ30年以上、ずっと仕事一筋。家族旅行をすることもなかった。「そろそろ家族孝行したい」。長年の立ち仕事で、足腰の痛みが限界に達したこともあって閉店を決めた。

 「人生の半分以上をここで過ごし、博多が古里のようなもの。今は感謝の気持ちしかない」と松原さん。土居流の仲間で近所に住む会社社長春日徹さん(55)は「ふらりと寄れる場所がなくなるのは寂しい」。最後の日は有志が集まり、はなむけに「博多手一本」を入れる。

この記事は2016年12月26日付で、内容は当時のものです。

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