被災地の受験(3)僕の道 農業高校を目指して

更地になった自宅跡地では来月から新築工事が始まる予定。タカシと母親は椅子に腰掛け、いろんなことを思い返す=昨年12月26日
更地になった自宅跡地では来月から新築工事が始まる予定。タカシと母親は椅子に腰掛け、いろんなことを思い返す=昨年12月26日
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 目指す農業高校の前期試験が2月3日に迫った。面接と小論文の試験がある。志望の動機や、どんな農業をやりたいのか。問題を想定し、ノートに自分なりの考えをまとめている。

 熊本県嘉島町の中学3年、タカシ(15)=仮名=の勉強机は小さなこたつ。小学6年の弟(12)と分け合い使っている。家族4人は、3間のアパート(みなし仮設)で暮らす。自宅は熊本地震で大規模半壊した。

 「農業高校の先生になりたい」。タカシがそんな夢を、母親(48)に語り始めたのは中学2年だったという。

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 幼少時代から、祖父の田んぼで田植えや稲刈りをするのが大好きだった。「最初は、トラクターやコンバインに乗せてもらうのがうれしくて。土のヌルヌルした感触も」。友達も誘って一緒に稲刈りし、収穫した新米おにぎりを持ち寄り、公園でほおばった。手づくりと収穫の喜びが志望の原点にあるという。

 そんな夢を描き、一昨年から学習塾にも通い始めた。前震時も塾で勉強中だった。携帯電話は持っておらず、自転車ででこぼこ道を帰った。あたりは暗闇。家に近づくと、自転車のライトに気付いた母親が、全力ダッシュで駆けてきた。

 前震の翌日(4月15日)がタカシの誕生日だった。祖母も自宅に呼び、あり合わせの食べ物でお祝いをした。その夜、兄弟は父親(49)と一緒に寝る予定だったが、「久しぶりにおばあちゃんと一緒に寝たい」と言った。本震(16日未明)では、兄弟が寝る予定だった所にたんすが倒れていて、肝を冷やした。

 6月初めまで、避難所の町体育館から通学した。卓球台が勉強机となり、夜は運ばれてくる支援のペットボトル水の運搬を同級生と一緒に手伝った。その姿がたのもしく、母親は「すごいね」と声を掛けた。

 学校再開後、美化委員長を務めるタカシはある計画を提案し、自ら動いた。「はるかのひまわり絆プロジェクト」

 阪神大震災(1995年)で妹を亡くした中学3年(当時)の姉が、家の跡地に咲いたヒマワリの花に思いを重ね、各地に種をまき、震災の記憶と教訓を語り継ぐ運動。熊本地震の被災地でも広がり始めていた。

 「学校も地域も、みんな気持ちが沈んでいた。種を今まけば、9月の体育大会に間に合う」。タカシたちは300鉢に種をまき、朝夕2回の水やりや手入れを続けた。

 地域の人々も集まった体育大会。開花のピークは少し過ぎてしまったが、みんなの心に焼き付いた風景だった。

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 タカシは昨年、大みそかまで塾に通い、元日は合格祈願の三社参り。今もあの前震時と同じように、学校が終わると家で夕飯を食べ、午後10時ごろまで塾で勉強し、自転車で帰宅する日々が続いている。

 2階建てのマイホームは昨年取り壊された。2月からは家の新築工事が始まり、夏には完成予定だ。一家は、自宅ローンを完済した直後に被災した。幸い地震保険に加入していたが、新たなローン返済が始まる。

 解体工事が始まる前日、4人は家に入った。「もう、これが最後だけん、お礼言おうか」。父親に促され、台所、リビング、勉強部屋と回り、「ありがとう」と一礼するたび、みんな涙が止まらなくなった。

 農業経営の道に進むか、農業高校の先生になるか。それはタカシにもまだ分からないが、その夢への一歩が農業高校。両親の母校でもあり、父親は公務員になった。その道がやがて被災地復興にもつながっていくと、タカシは考えている。

 弟も今春から中学生。「家族みんな、再出発の年になりますように」。母親は元日、そう願い、手を合わせたという。

 ◆農業高校 文部科学省の2015年調査によると、職業系の専門高校では、工業、商業系に次いで多く、全国には127校。熊本県内には12校(分校を含む)あり、うち1校は今春、閉校する。農業、園芸、畜産などの学科が古くからあり、1980年代ごろからはバイオロジー(生物学)、食品化学、農業経済など、時代に対応した学科の新設も進んだ。志願倍率は学校、学科によって開きがある。少子化や農業離れの影響もあり、2000年代に入ると定員割れの学科も目立つようになった。

=2017/01/22付 西日本新聞朝刊(教育面)=

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