被災地の受験(4)遠い学校 南阿蘇 15歳の選択

午前5時半発の臨時通学バスに乗り込む高校生。空にはまだ星が輝いていた=1月、熊本県南阿蘇村
午前5時半発の臨時通学バスに乗り込む高校生。空にはまだ星が輝いていた=1月、熊本県南阿蘇村
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 熊本市の高校か、それとも隣の高森町の高校か-。熊本県南阿蘇村の南阿蘇中学校に通う3年生ユイ(15)=仮名=の心は、昨春から揺れ続けた。

 学力の問題ではない。熊本地震で交通網が被害を受け、通学環境が大きく変化したからだ。

 阿蘇山南側の南郷谷にあるのは高森町の高森高校のみ。多くの生徒は大津町や熊本市の高校に通うが、JR豊肥線と南阿蘇鉄道、主要道路が被災したことで、山越えの迂回(うかい)路を走るバスだけが頼りになってしまった。

 便数が少なく、高校生がバスに乗り込むのは夜明け前。帰りはバスの時間に合わせるため、部活動などの学校生活が制限されてしまう。自宅からの通学を断念して、寮や親戚などの家に転居した生徒もいる。

 「どうしても通学時間が気になって…」。ぼんやりと熊本市への進学を考えていたユイは、登下校に疲弊する先輩の姿に1年後の自分を重ね合わせては、ため息をついた。

 昨年7月、南阿蘇中は初めて全校生徒で高森高のオープンスクールに参加した。定員割れが続く地元校だが、地震後、交通事情の悪化を理由に3人が進学校などから転入していた。身近な選択肢として、生徒と保護者の関心は高まっていた。

 校舎は建て替えたばかり。吹奏楽部や陸上部は昨年、好成績を収めた。大学の推薦枠もあり、昨春は国立大理系に進学した生徒もいた。便利さに加え、学校の魅力が高まったことで、多くの友人が高森高に決めた。

 ユイの心は、揺れに揺れた。

   ◇   ◇

 交通事情の悪化は、肝心の受験対策にも及んでいた。

 ユイは3年になってから大津町の大手学習塾に通うことを考えていた。村内には公民館を利用した小さな塾しかなく、受験対策に強い大手で1年間のサポートを期待していたのだ。

 その計画も地震に砕かれた。本来なら車で20分の道のりは、3倍近くかかるように。両親の仕事の都合であきらめざるをえなかった。それでも、クラスの2、3人は大手に通う。村外のライバルはもっと多いだろう。「不利だとか考えても仕方ない」。自力で乗り切る覚悟を決め、自室の学習机に向かった。

 冬になり、村役場でボランティア団体による学習支援があった。関数グラフの面積を求める問題。あくせくと計算に取り組むユイに塾講師は「こっちの公式を使う方がいい」と教えてくれた。これまでより短時間で解くことができた。

 「もっと早く知ってたら」。直前の県内共通テストで苦手の数学は思ったより点数が取れていなかっただけに、悔しい気持ちと焦りがこみ上げた。

   ◇   ◇

 インフラの復旧時期は見通せないが、受験は待ってくれない。ユイはギリギリまで迷い、学校に志望校を伝える期限が2日後に迫った12月中旬、熊本市の高校を目指すことに決めた。

 30年ほど前、電車を乗り継いで熊本市の高校へ通った父は、人生の岐路と大災害が重なってしまった娘を、ただ見守ることしかできなかった。「街に出てたくさんの人に出会うことには意味がある」。自身の経験から、そう背中を押した。

 志望校は難関だ。この1年の過ごし方に、不安がないわけではない。ただ、地震のせいにはしたくないと思う。住宅被害などでもっと学習環境が悪化した友人だっているんだから。

 「あとは体調管理だけ」と胸を張るユイに父は「開き直ってきたね」と笑いかけた。

 「ポジティブじゃないとやっとられんよ」。迷った分だけ、ユイの心は強くなった。

 ◆阿蘇地域の交通事情 熊本地震の影響で、JR豊肥線は肥後大津(大津町)-阿蘇(阿蘇市)の27・3キロが不通に。第三セクターの南阿蘇鉄道(17・7キロ)は昨年7月に一部区間で運行を再開したが、立野(南阿蘇村)-中松(同)の10・6キロは不通のまま。いずれの鉄路も復旧の見通しは立っていない。JR九州は代替バスを1時間に1本ほど走らせ、熊本県は南阿蘇-大津町間で臨時バスを登下校時間帯に運行している。南阿蘇と熊本市を結ぶバスは、俵山トンネルを通る県道が昨年末に仮復旧したものの、迂回路のため所要時間は地震前より微増している。

=2017/02/05付 西日本新聞朝刊(教育面)=

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