給食のハテナ?(2)先生の目 学びの時と場でも

福岡市博多区の堅粕小3年生の給食風景。担任の先生たちは子どもたちに目配りし、注視もしている=11月24日
福岡市博多区の堅粕小3年生の給食風景。担任の先生たちは子どもたちに目配りし、注視もしている=11月24日
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担任らは悩み、考える

 給食の時間は単に「食べる」だけでなく、担任教諭にとっては実に興味深い時間だという。授業から解き放たれた児童生徒からは、さまざまな素顔や人間関係、背景がうかがえ、この時間にいじめなどの問題の芽を察知する教員もいる。先生たちはどんな様子で、子どもたちと一緒に給食を食べているのか。福岡市博多区にある堅粕小学校の給食時間を見せてもらった。

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 11月24日金曜日、3年生20人のクラス。エプロン姿の給食当番が食器や料理を教室に運んでくる。この日のメニューは福岡米のライスコロッケ▽野菜のスープ煮▽くるみパン▽みかん。ライスコロッケは新登場の献立だった。

 担任の先生がまず、野菜のスープ煮を3皿分、器に盛る。当番はその量を手本に、順々に盛っていく。別の当番が手分けして配膳。袋入りのパンや牛乳も手際よく配っていった。

 堅粕小では、学級分のおかずやご飯はひとまず鍋から全部なくなるようつぎ分ける。「量が多い」という児童はその後に減らし、お代わりに回す。1人分の量を理解してもらう工夫だ。

 「普段の子どもの様子を見て、食べられそうな量を見極めるのも教員の腕の見せどころ」と入江誠剛校長(60)。低学年だと特定の料理をかなり減らす児童もいるが、この日は誰もいない。全員が減らさずに「いただきます」の合図で食べ始めた。

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 すぐにある男子がパンを落とした。自らのパンと交換した担任は、主食抜きの給食になってしまった。

 別の日、1年生のクラスでは体操服にスープをこぼした男子もいた。男児は着替え、担任は服を洗って窓際に干していた。

 会話が弾み、児童が動く給食時間には「トラブルの種」がいくつもある。席を立つ、口に詰め込みすぎ、椅子にちゃんと座らない…。教員が指導するポイントは無数にある。

 ふと思う。私の小学生の息子たちは今、どんな給食時間を過ごしているのか。自宅ではたびたび注意しているつもりだが、学校では果たして…。

 「給食時間も授業と同じ。休憩時間ではありません」。この日案内をしてくれた給食指導担当で、算数指導などで複数の学級に入る小島香教諭(39)は年々、給食を食べるのが早くなった。大半の教員が10分未満で食べ終えるのでは、とみる。

 「給食を食べない」と泣く女子もいた。小島教諭が理由を聞くと、配膳時の級友の対応にショックを受けたという。「友達はどんな対応が良かったのかな。あなたならどうする?」。丁寧なやりとりで心を解きほぐすと、その女子は給食を食べた。

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 小学生だけに、ある男子がふざけたのを周りの子が見てはやし立てることもある。でも、教員たちが大声で注意することはなかった。普段と同じくらいの声とボディタッチでいさめた。

 「たとえ大声で注意してその場が収まっても、長続きしない」と小島教諭。このケースで言えば、給食外の時間を使うのが有効だと考える。食事のマナーや集団行動の大切さを、子ども自身が気づき、自己変容へと向けるには、時と場を変えた個別指導や学級での話し合いが求められるのだ。

 そしてこうも話した。「子どもの力を借りるんですよ」。教師力でクラスや子どもを制御するのではなく、リーダーなどの力も借り、学級づくりへと向かう姿勢も必要だと。

 給食の時間、多くの教員がそんな一筋縄ではいかない現実に直面し、笑顔で食べながら、実はあれこれ悩み、考えていた。

 ◆給食の始まりと位置付け 文部科学省によると、日本の学校給食は1889(明治22)年に山形県鶴岡町(当時)の私立小学校で始まったとされる。経済的に困窮する子どもの就学奨励のため、仏教慈善団体が実施したという。戦後の1954(昭和29)年に制定された学校給食法では、「心身の健全な発達」「国民の食生活の改善」に寄与するものと位置付けられた。学習指導要領に「食育の充実」が初めて掲げられたのは小学校が2011年度、中学校が12年度。16年度に全国の国公私立学校で学校給食を実施したのは小学校99.2%▽中学校88.9%▽特別支援学校89.3%▽夜間定時制高校72.6%-だった。

=2017/12/10付 西日本新聞朝刊(教育面)=

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