学び合い(2)転機 校長は振り返る

「学び合い」の歩みを熱く語る元主浩一校長。校長室の壁は「グローバル化」「AI」などのキーワードが記された張り紙であふれていた
「学び合い」の歩みを熱く語る元主浩一校長。校長室の壁は「グローバル化」「AI」などのキーワードが記された張り紙であふれていた
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扉を開いたのは生徒たちだった

 生徒同士の「学び合い」に学校ぐるみで取り組む東光中(福岡市博多区)。その旗振り役となったのは2011年4月、この学校に教頭として着任し、今は校長を務める元主浩一さん(60)だった。かつては力ずくで生徒を従わせ、席に座らせる「力の教育」を実践した先生だったという。

 専門は社会科。異動で中学を変わるたび、顧問を務めた野球部を強豪チームに導いた。野球漬けの生活。厳しい指導をしても「常勝チーム」である以上、文句を言う生徒や保護者はいなかった。「あの頃はてんぐになっていた」

 やがて「荒れた学校」を再生していった足跡が評価され、そんな学校で勤務することが多くなった。ところが-。

 野球をしたい生徒が集まる部活動ではその指導で良かったが、ベテラン教員として課題山積の学校や授業を運営していくのに、その指導は通じなかった。

 不登校とは違った形で、生徒がまず学校に来ない。登校しても授業中は寝てばかり。起こすと怒り出す。放課後の個別学習も受け付けない…。

 ある保護者が漏らしたひとことが、今も元主さんの耳に残る。「先生に注意されて、かーっと頭に血が上ったら、先生に暴力を振るわんごと、体育館の裏に行って頭を冷やすよう、子どもに言っとるんですよ」。先生ばかりでなく、保護者も疲れ果てていた。

   ◇   ◇

 転機は2013年2月。佐賀県の中学校を研修視察し「学び合い」の実践を初めて知った。

 驚いたのは、特別支援教育が必要な生徒も含め、全員が授業中にプリントをやり終えた姿だった。「誰ひとり見捨てないやり方に、教育の本質を見た気がした」。同年4月から、全教員をその学校へ順番に派遣し、指導法を取り入れていった。

 しかし、教員も生徒も初めての授業スタイル。すぐにうまくいく訳もない。当初は「雑談」にしかならなかった。

 「このままでいいのでしょうか…」。相談に来た教員に元主さんはこう応じた。「どうせ普通の指導をしても、聞かんもんは聞かんのやから」

 導入に反対の教員も少なくなかった。多くは一斉授業に自負があるベテラン教員。職員会議では激論になった。

 だが、元主さんは引き下がらなかった。「申し訳ないけれども、この学校は『学び合い』をやる」。厳しい叱責(しっせき)や指導がむしろ、子どもと教員の溝を深めてきたとの反省があった。

   ◇   ◇

 効果が出始めたのは約半年後だった。

 「あの子に教えてやらんね」。そんな教員の地道な声掛けに、配布されたプリントを解こうとしない生徒に教える生徒が増えてきた。

 金誠子(キム・ソンヂャ)常勤講師は当時の様子をこう振り返る。

 「授業中、いくら友達が声を掛けても、寝ている男子がいたんですよ。見かねた女子が、男子の手に鉛筆を持たせ、その手をつかんでプリントに答えを書かせた」。男子もばつが悪くなったのか、自ら動くようになっていったという。

 「荒れる子って、実は困っているんですよ」と元主さん。荒れていた生徒が学び始めると、授業も落ち着きを取り戻した。全国学力テストの平均点も上昇カーブに転じ、公立進学校に進む生徒も増えた。今度は逆に、視察を受ける学校に変わった。

 「勉強しろ」「黙って授業を受けろ」ではなく、「クラスみんなが分かるようになるって、こんなに気持ちがいいのか」。

 学校・授業改革の伏線は先生たちが準備したが、改革の立役者は生徒たちだった。かつて力の教育に傾倒した元主さんはいま、つくづくそう思う。

 ◆荒れる学校 校内暴力が深刻化したのは1980年代。子どもが先生に暴力を振るったり、窓ガラスを割ったり…。各学校では、規律ある生活態度や服装など、校則を強化することで、沈静化に努めた。ゼロ・トレランス(徹底した不寛容、厳罰主義)方式と呼ばれる。最近では、そうした厳しい生活指導ばかりではなく、問題行動を起こす子どもの内面や生活環境にも着目した指導が主流になっている。「学び合い」は学力面ばかりではなく、そうした学校秩序の視点からも注目されている。

=2018/03/11付 西日本新聞朝刊(教育面)=

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