【フクシマの教訓】(1)の2 「神話」崩壊たじろぐ 保安院すぐ現場放棄

(右から時計回りに)下村健一氏、寺坂信昭氏、班目春樹氏、菅直人氏
(右から時計回りに)下村健一氏、寺坂信昭氏、班目春樹氏、菅直人氏
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 首相官邸別棟で仮眠し始めて1時間ほど。「東京電力が撤退すると言っている」。内閣審議官、下村健一(51)は電話でたたき起こされた。震災発生から4日、昨年3月15日未明のことだ。

 東電本店まで官邸から5分程度。下村は、首相菅直人らとともに案内された小部屋で「本部機能移転について」という題の紙を示された。「(福島第1原発で)作業に当たる最小限の要員を残して…」。全面撤退を疑う下村は、最低限の作業は続けられるように、くぎを刺した。「『作業に当たる』を『(原発建屋への)注水作業に当たる』と書き換えてください」

 小部屋には東電会長、勝俣恒久もいた。「はい。ありがとうございます」。菅の指示や注文に対し、緊迫感を感じさせない受け答えが続いた。

 《評論家発言だけの会長 おびえた目で言葉濁す》(下村ノートより)

 東電は全面撤退を申し出た事実を否定。官邸側の主張と対立している。

 小部屋には6分割されたモニター画面が並んでいた。福島第1原発の対策本部も常時つながっている。「こんなものがあるのに、なぜ官邸は情報過疎になったのか」。下村は拍子抜けした。「これはいいな。細野(豪志首相補佐官=当時=)君、この部屋にずっといて」。菅の指示で、細野の東電本店常駐が決まる。

 こうしたテレビ会議システムの存在を、官邸は知らなかった。本来、東電と官邸をつなぐ経済産業省原子力安全・保安院は何をしていたのか。

 3月11日夜を最後に官邸を離れた当時の保安院トップ、寺坂信昭は経産省にいた。今年2月、国会事故調の聴取で理由を問われ、保安院次長時代に初めて原子力行政を担当した“素人”だから、と釈明した。「私は事務系の人間ですので…」

 保安院ポストは経産官僚にとってキャリアの一つにすぎない、と認めたようなものだ。以後、官邸に連絡したのは「数回程度」(寺坂)。民間事故調は、保安院の対応を「総じて事後的・受け身なものであり、存在感は希薄だった」と断じた。

 トップだけではない。原発内に詰めて状況を報告するはずの保安検査官8人全員が、12日未明までに保安院課長の了承のみで現場を離れていた。

 《K(注・菅のこと)に冷却水が必要》-下村のノートにはそんな記述がある。陣頭指揮に立つ菅の興奮ぶりを示す。菅と親交のない人間にとって、「イラ菅」と呼ばれる言動は「違和感を感じて当然」と、当時の経産相、海江田万里も言う。そもそも、官邸が事故対応の主舞台になるとは想定されていなかった。

 それでも、原子力ムラの機能不全を目の当たりにした下村は確信した。「彼らにとって、こんな事態は本気で予定外だった。国民向けではなく、自分たちが『安全神話』を信じていたんだ」と。

 新たな原子力規制組織が発足しても、ムラの顔触れが一新されるわけではない。「いざというときに判断力を失えば意味がない」と下村は厳しい。「原子力を扱う『人間』にこそ、ストレステストを受けさせるべきだ」

 「事故直後の1週間は記憶がすっ飛んでいる」という原子力安全委員長、班目(まだらめ)春樹も述べている。「最後は人だな、ということをつくづく思い知らされた」
(敬称略)

=2012/06/12付 西日本新聞朝刊=

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