古里思う種 共に育む 商店街"再生請負人"の挑戦

人通りが戻り、Uターンした若者の結婚式も行われた油津商店街=3月19日撮影
人通りが戻り、Uターンした若者の結婚式も行われた油津商店街=3月19日撮影
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根岸裕孝氏
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 宮崎県日南市が2013年4月、油津商店街の“再生請負人”を公募してから約4年。「業務期間中は日南に住む」「任期中に20店を誘致する」などを条件に働くテナントミックスサポートマネージャーは、経費も含め月額90万円の委託料が関心を集めた。全国333人から選ばれ、13年7月からの任期中に目標を達成した木藤亮太さん(42)の取り組みは、地域再生への挑戦だった。

 4年足らずで28店誘致

 2月半ばの夕暮れ時。油津商店街のアーケードにヒップホップ曲が響き、ご当地アイドル「ボニート ボニート」のレッスンが始まった。地元特産のカツオの英語読みにちなみ命名。カツオの髪飾りを付けた地元の女子児童11人が歌って踊る。再生の取り組みに共感した宮崎市のダンススクール代表河野真貴さん(43)が指導する。昨秋、東京・秋葉原でも公演した。

 神様おねがい少しだけ聞いて/いつかこの町をたくさんの人で/うめつくしたい

 河野さん作詞作曲の「じゅんび は いーかっ!!」には、商店街に関わる人々の願いが共通している。

 活動の背景に「移住」

 油津港は、江戸時代から飫肥(おび)杉の積み出し港として栄えた。昭和初期には東洋一のマグロ水揚げ港として知られ、港と油津駅を結ぶ商店街に人があふれた。だが港の勢いが衰え、郊外店が立地すると「猫も歩かない」と言わるまでになった。日南市の人口は約5万3千人で年に約700人が減っている。国の補助制度で打開を図っても助成期間が終わると元に戻る。同市は、全国初の“請負人公募”に踏み切った。

 福岡市の会社でまちづくりのコンサルタント業務をしていた木藤さんは、報告書を作れば終わってしまう仕事に悩んでいた。「市民とより深く関わりまちの将来を具体的に築きたい」と応募、採用された。

 まず取り組んだのは、市民との信頼関係やコミュニティーづくり。誘致、改装以前に人々の関心を商店街に集めたいと思った。人通りがないのを逆手に取ってアーケードでボウリング大会やファッションショーを開催。「まちの動きに関われば面白い」という空気をつくった。多様な活動をする市民を紹介してもらい、さまざまな会合に出向いて人脈を築いた。

 そんな中、かつての夏の行事・土曜夜市の復活を地元高校生に協力してもらった。生徒らは集めてきた古着を販売し、手づくりの「お化け屋敷」に小学生の行列ができた。生徒の提案型事業として続いている。

 活動の背景には、木藤さんが家族と移り住んだことがある。子を持つ親同士の交流で母親たちの危機感を知った。高卒後は進学などでほとんどの子が市外に出る。「就職し家庭を持てば帰らないかも」と聞いた。

 「商店街が変わる体験で必ずまちに興味がわく」と考えた木藤さんは、まちづくりを通して生徒たちの心に古里を思う種をまいていった。「いずれ戻りたい」と言う生徒も出ている。

 こうした誘致を急がない遠回りの手法で、商店街応援の機運が盛り上がっていった。市民が親しんでいた喫茶店跡の復活が論議され、内装はそのままで若者にも人気のカフェスタイルの店舗を開業。それに先立ち株式会社油津応援団を設立すると、1口30万円の出資が44人から集まった。カフェやまちづくりを民間で担う仕組みが整った。

 隣には地元豆腐店の料理店をプロデュース。向いのスーパー跡地は屋台形式の飲食店街と多世代交流スペースに変えた。空き地をスイーツや子ども服などのコンテナショップ通りにし、一帯の人通りはこの3年で2・4倍ほどに増えた。宮崎市のレストランを独立した地元出身者、福岡市からのUターンなど、出店者のほとんどは30代だ。

 目指すは「自走」

 注目されつつある油津商店街だが、空き店舗を埋めるだけでは持続可能にならない。「消費増には雇用創出を」と日南市はマーケティング専門官として田鹿倫基(たじか・ともき)さん(32)を採用。市のPRや企業誘致を任せている。田鹿さんは、IT企業とタイアップしたPRやイベントを仕掛けて同市の知名度を上げ、地方に関心を示すIT企業を誘致。進出した10社のうち7社は商店街エリアに入居。若い女性も地元採用され、商店街には小規模保育施設ができた。取材した2月中旬、大学生が起業したゲストハウスでは東京のベンチャー企業がスタッフ会議を開いていた。同市を拠点に宮崎、熊本などに外国人向け民泊を展開する予定だという。新たな動きが起きている。

 田鹿さんは、ITなど若者が望む事務職の仕事が少ないのが流出につながっていると分析。職場確保で、将来は人口ピラミッドを平準化させたいと構想する。

 油津応援団社長の黒田泰裕さん(63)は元商工会議所事務局長で、「一生懸命やっても商店街再生だけは失敗した」と振り返る。今回の試みを地元では「これでだめなら商店街は再生しないと覚悟して始めた」と説明。28社・店舗が入居し、若者が目立ちだした通りに可能性を感じている。

 「運営を軌道に乗せる今後が正念場」と言う木藤さんは、任期終了後も同応援団専務などで汗をかく。目指すのは自分がいなくなっても「自走」する商店街だ。

 ◆新たな価値 創造の拠点に

 油津商店街の挑戦を、人口減時代の地域づくりの視点からどう捉えればよいか。学生と同商店街の現地調査や地域活動参加を重ねている宮崎大の根岸裕孝准教授(50)に聞いた。

 油津商店街の再生は、コーディネーターが地域で暮らしながら、市民との関係性を紡いだ点に特徴がある。全国事例に詳しいコンサルタントが、年数回の現地調査だけで報告書をまとめるのが通例である中、従来にない取り組みだ。土地や建物の入れ替え、賃貸借契約など信頼関係が重要なだけに、実際に住み、市民とつながって仕事し、行政が支えたのが効果的だった。

 まず人間関係づくりが重視された。目に見える成果がなく、「90万円も出しているのに」と批判もあっただろうが、子育て中の母親グループや高校生をはじめ、さまざまなつながりを構築。商店街を市民にとって特別な場所に変えていった。

 高校生は土曜夜市の企画、運営に携わる中で楽しさを経験し、町の変化を知った。商店街が、「なぜ学ぶのか、働くのか」と自分を見詰めるフィールドになり、若者たちが古里を考えることにつながった。IT企業進出や、大学生のゲストハウス起業など、多様な人々がアイデアを出し、地域を語り、新たな空間をつくる流れができた。

 過去のにぎわいを知る人は、寂れた商店街を良くしたいと願う。だが、近隣に大型店が立地した現在、昔を完全に取り戻すのは不可能だ。だからこそ、時代に応じた新しい町をつくっていくべきだ。「平日の人通りは相変わらず少ない」という意見もあろうが、若者が働き、起業する現状は4年前には想像すらできないことだった。

 油津商店街は「自走」を目指している。「自走」とは、新しいものをつくるインキュベーション(起業支援)として機能することであり、それを加速させることだ。お金が回り、新たな価値をつくり、人材を育てていくことでもある。従来の商店主と出店者との協力関係の構築、出店者の経営安定など課題は多いが、それを乗り越えた先に「自走」は見えてくるだろう。

 根岸 裕孝氏(ねぎし・ひろたか) 九州大大学院経済学研究科修士課程経済工学専攻修了。日本立地センター研究員を経て宮崎大講師に。産業立地政策・地域経済政策、まちづくりや市民活動と行政との協働などを研究。著書に「中小企業と地域づくり」など。栃木県出身。

=2017/03/31付 西日本新聞朝刊(オピニオン)=

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