「消滅可能性No.1」群馬県南牧村を訪ねて 「古里消さぬ」自然体で

緑の山があり、川が流れ、人々の営みがある群馬県南牧村。九州の山村とよく似ている光景だ
緑の山があり、川が流れ、人々の営みがある群馬県南牧村。九州の山村とよく似ている光景だ
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吉弘拓生氏
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 数年来、群馬県南牧(なんもく)村はマイナスイメージで全国一注目される自治体ではないか。民間シンクタンク「日本創成会議」(増田寛也座長)が2014年に発表した896の消滅可能性都市の中で最も消滅の可能性が高いとされ、15年の国勢調査でも高齢化率が60・5%と日本で1番高いという結果が出た。南牧村は人口減社会の“象徴”のように、本当に消えゆく村なのか? 住民たちは何を思い現状と向き合っているのか? 訪ねて歩いて考えた。隣町の同県下仁田町の副町長で、「ここで生きるネット」メンバーでもある吉弘拓生さんにも同行願って、見たこと感じたことを語ってもらった。

 「今できること」を熱心に

 南牧村役場の会議室は熱を帯びていた。5月9日午後7時過ぎ。住民グループ「南牧山村ぐらし支援協議会」のメンバーが、今後の活動を協議していた。都内である移住相談会の対応、空き家調査の段取り、広報誌の次号の内容-。

 「『今できること』は何か、知恵を出し合っています」。協議会の金田鎮之会長(45)が語る。6年前、協議会発足と同時に村内の空き家調査に乗り出した。1758戸のうち368戸の空き家があると分かり、居住可能な一部を「古民家バンク」に登録。移住希望者に情報提供を始めた。

 当時、「消滅可能性都市」の言葉はなかった。金田さんらは未来を心配していた。「私の小学校の同窓生は44人だが、今は全校児童が30人足らず。危機感がありました」。自然な流れだった。

 金田さんは創業140年の和菓子店の当主でもある。南牧産の炭を使った「炭まんじゅう」を開発するなど特産品づくりにも力を入れる。だから消滅可能性都市の発表に接したとき、「人ごとのようでした。『だって今(村は)あるじゃん』って感じです」。自然と闘争心が芽生えた。

 高齢化の恩恵

 東京から新幹線と私鉄を乗り継いで下仁田まで約2時間、下仁田から車で20分。南牧村は意外と近い。村の光景は、九州の山村によく似ている。清流と緑の山々、傾斜地に点在する家々。そんな風景にひかれて佐藤従基さん(51)が移住したのは14年前。木工房を開き、家具づくりに励む。

 東京から村を訪れたとき、担当職員の言葉に背中を押された。「ほかの自治体では、田舎暮らしの良いところしか説明しない。だが南牧では、自然の厳しさやコミュニティーを築く難しさを話してくれました」。佐藤さんは協議会の一員として各地の移住相談会に参加し、村の厳しさや課題も語る。「腰掛けでなく、ずっと南牧に住み続けてほしいと願います」。移住の“先輩”の言葉には重みがある。

 田中陽可さん(25)は村で最も若い移住者だ。東京の高校を卒業後、米国の大学へ留学し、農業への関心を深めた。帰国後、地域おこし協力隊員として南牧村に。農家の手伝いなどをしながら2年間過ごし、今春から6反(約60アール)の畑を借りて一本立ちした。

 村の農業の担い手は大半が高齢者で80代の現役も少なくない。75歳以上が人口の40%を占める村の現状だ。「みなさん何十年もかけて習得した技術を、惜しげもなく教えてくれます。植え付けや手入れを助言に来てくれます」。田中さんは、「お年寄りばかりの村」の恩恵を感じている。

 数字に発奮し

 日本創成会議の試算では、南牧村は2040年までに20~39歳の女性が約90%減り10人程度になる。しかし若者の姿は消滅可能性都市が発表された後、とみに増えたという。「過疎地や高齢者問題を研究する学生が来るようになりました。最初は勉強で、次は仲間を連れ遊びに来る人も多いですよ」。夫と自動車整備工場を営み、「南牧村ふるさと再生仕掛人」の肩書で村の暮らしをネット発信する神戸とみ子さんが言う。

 消滅可能性都市の発表直後の14年9月、神戸さんは増田座長を招いたフォーラムを開いた。住民は、不名誉なレッテルを貼った“張本人”の発言に注目したが「増田さんは、あきらめず、村の未来をみんなで考えようと訴えました。数字は発奮材料になりました」。講演後、参加者は働く場や都会との連携、子どもの未来について語り合った。

 明るい顔と顔

 地域の現状を変えようと頑張る人がいる。移住して、その輪に加わる人がいる。南牧村には、人口減にあらがう地域でよく見られる光景があった。「消滅可能性ナンバーワン」の村からは悲愴(ひそう)感ではなく、「今できること」を当たり前のように取り組むひたむきさが伝わった。

 南牧を歩くと、消滅可能性都市と、そうでない都市の違いは何かと考えてしまう。明確な線引きは数字だけか。その地域らしい未来を指向する取り組みを、全国統一基準で順位付けする意味はあるのか。

 田中さんは海外の若者を受け入れ、農作業を手伝ってもらっている。研修後、村を離れるとき、みんな「住み続けたい素晴らしい所」と言うそうだ。「彼らは消滅可能性都市のことは知らない。フィルターを通さず彼らの目に映ったのが、村の真の姿だと思います」。そう語る田中さん表情は、ほかの住民と同様に明るく、さわやかだった。

 南牧村 群馬県の南西部にあり、標高800~1400メートルの山々に囲まれた中山間地の村。主産業は農林業でこんにゃくや養蚕が盛んだったが、価格の低迷などで衰退した。それに伴い1970年に7671人だった人口も、2015年には1979人となり、ここ5年でも18・3%減(国勢調査)。40年の推計人口は702人。一方、普通出生率は全国で最も低い1・6(2010年)。村では移住者を呼び込む施策に力を入れ、保育料や学校給食費の免除、高校入学と通学費補助金の交付、転入者に対する転入奨励金支給などの定住化対策を実施している。

   ◇   ◇

 「人がいるところに未来はある」 
 吉弘拓生・群馬県下仁田町副町長

 私が副町長を務める群馬県下仁田町も日本創成会議の「消滅可能性都市」とされ、2040年には人口が現在の4割程度まで減るといわれる。常に南牧村と同じ危機感を持ち、課題解決の糸口を探っていきたいと考えている。

 南牧村の住民の取り組みで勉強になったのは、既に移住して来ている人が新たな移住希望者に村の良い面も悪い面もすべて伝えていること。山村ぐらし支援協議会の佐藤従基さんの話は刺激を受けた。いざ移住して来ても「思っていたのとは違っていた」とミスマッチが全国で起きているのが実態だ。移住先が本当はどういう所か、相談会に来た人が一番知りたいこと。南牧村は住民レベルで大切なことができていると思う。

 同協議会の会合で、村役場だけでなく県の担当職員も参加していることにも注目している。行政の立場では、つい東京(国)の方を向いて、得られる支援などを考えてしまいがちだ。だが南牧は地域内で連携し、本腰を入れて自分たちの自治体を自分たちで何とかしようとの思いが伝わってくる。当たり前のようだが、重要なことだろう。

 2015年に下仁田に赴任したとき、隣村が「消滅可能性都市ナンバーワン」と呼ばれていることを知った。若い人が出て行き、高齢化が進行して将来はなくなってしまうのか、と思っていた。恥ずかしながら、数字しか見ていなかったのだ。

 下仁田町で地域活性化に携わり、痛感するのは一番の財産は人だということだ。地域を思う人、情報を発信する人、アイデアを実行に移す人-人がいれば可能性が広がると学んだ。南牧には、そうした人たちがいる。数字に表れることはないが、大きな力となって村の未来を明るくするだろう。下仁田と南牧がともにできることはあるのか、住民主役の取り組みはもっとほかにないか、今後も探っていきたい。
(談)

 ◆吉弘拓生氏(よしひろ・たくお) 1981年生まれ、福岡市出身。福岡県うきは市職員のときにユニークな地域起こしで注目され、2015年4月から現職。

=2017/06/02付 西日本新聞朝刊=

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