復興支援決意の日田移住 松永さん(中津出身)名古屋の職辞し 「東日本」「熊本」でも活動経験 これが私の進む道

「被災者が安心して暮らせるまで支援したい」と語る松永鎌矢さん
「被災者が安心して暮らせるまで支援したい」と語る松永鎌矢さん
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 東日本大震災でのボランティアをきっかけに災害支援のNPO法人職員になり熊本地震などの支援に携わってきた松永鎌矢さん(28)=中津市出身=が、九州豪雨から5カ月を前に名古屋市から日田市に移住した。数々の災害での支援経験を生かし、当面は同市の民間団体を中心につくる支援組織「ひちくボランティアセンター」のスタッフとして活動。「復興への道のりを日田の人と共に歩みたい」と決意を新たにしている。

 2011年、大分大(大分市)3年の時、テレビが伝える東日本大震災の映像を見た。「映画のようで、この世のものと思えなかった」。1年間休学して海外へ行く予定を取り消して、10メートル超の津波が襲い90人以上が亡くなった宮城県七ケ浜町へボランティアへ行った。その年の暮れまで、がれきの撤去や仮設住宅の支援などをして活動。この経験で自分の進む道が見えた。「災害の教訓を語り継ぐことが必要だ」。大学卒業後、阪神大震災からの被災地支援の経験があるNPO法人「レスキューストックヤード」(名古屋市)に入った。

 14年に長野県北部を襲った地震、15年関東・東北豪雨、16年熊本地震など全国各地の被災地に出向いて被災者のニーズを聞き、行政や民間のボランティア団体の調整などを経験した。

 そして今年7月5日、九州豪雨が古里大分を襲う。翌日から日田市に入り、災害ボランティアセンター(VC)の運営支援などをしてきた。VCが8月に閉鎖してからは市内のNPOなどを束ねた復興支援組織の立ち上げに携わり支援を続けてきた。全国の被災地で支援活動を続けてきた松永さん。「支援が一段落したら離れるのでなく、息の長い支援ができたら」という思いが募っていた。活動を通して日田の人たちの温かい人柄に触れ「ここに住み一緒に復興を見届けたい」と決断。10月末にレスキューストックヤードを辞めた。

 厳しい冬を迎えた日田市では、みなし仮設などで約180人が仮暮らしを続ける。精神的に落ち込む人や引き続きボランティアの力を必要としている人がいる。松永さんは、毎年のように災害に襲われる日田から、避難行動の教訓や防災意識を高めるなど災害対応のノウハウを全国に発信できる仕組みをつくりたいと考えている。「地域の人と手を携えて、ピンチをチャンスに変えたい」。松永さんは表情を引き締めた。

=2017/12/05付 西日本新聞朝刊=

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