「ミュージシャン」 「黒糖焼酎の杜氏」 二足のハイヒール全力 奄美の西平せれなさん(30) 「島文化発展させる」

ミュージシャンとしての顔を持つ西平さん(中央)=昨年5月、東京
ミュージシャンとしての顔を持つ西平さん(中央)=昨年5月、東京
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黒糖焼酎の仕込み作業をする西平さん=6日、鹿児島県奄美市
黒糖焼酎の仕込み作業をする西平さん=6日、鹿児島県奄美市
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 鹿児島県・奄美大島に、酒造りと音楽活動という異なる職業を兼ねる女性がいる。同県奄美市の西平せれなさん(30)。昨年、奄美群島に25ある黒糖焼酎の蔵元で最年少の杜氏(とうじ)になり、ミュージシャンとしてもソロアルバムを出した。「例えるなら『二足のわらじ』じゃなくて、二足のハイヒールかな」。古里の島で自分らしく生きる。

 南国のイメージが強い奄美も、この季節は厳しく冷え込む。今月上旬、仕込み作業で慌ただしい西平酒造(1927年創業)で、4代目杜氏の西平さんが酵母の入ったかめに毛布をかぶせていた。職人の顔を見せたかと思えば「酵母が発酵する音や蒸留機の稼働音を聞くと、歌詞やメロディーを思いつくことがあるんです」とほほ笑む。

 幼い頃から音楽に夢中だった。社長で父の功さん(64)が「おやじバンド」をしていた影響で小3から父たちに交じりドラムをたたいた。逆に酒蔵は「強烈なにおいがして近寄りがたい場所だった」。地元の大島高から昭和音楽大(川崎市)に進学し、卒業後もボーカルとしてライブに出演するなど東京で音楽活動を続けた。

 だが2014年9月、功さんが体調不良で入院。長年杜氏を務めていた社員の引退も重なった。3人きょうだいの一番上だったこともあり、同年12月に家業を継ぐことを決断し、東京から島に戻った。

 酒造りは肌感覚が頼り。発酵がうまくいかず夜通し見守ったこともある。「妥協しないで形にするのは、音楽も焼酎も同じ」。2年の修業を経て昨年1月、杜氏に就任した。初代は曽祖母。「不安もあったけど、ご先祖さまが見守ってくれている気がする」

 島に戻り考えるのは奄美の将来だ。焼酎ファン開拓のため、自身のライブ会場で試飲会を開いたり、島唄をアレンジした楽曲作りに取り組んだりと新たな挑戦を続ける。

 「黒糖焼酎と島唄はもっと広がる可能性がある。島の大切な文化を発展させたい」。これからも「二足のハイヒール」を追い求めるつもりだ。

=2018/02/25付 西日本新聞朝刊=

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