博多ロック編<222>ジャンピングジャム

熱気に包まれた「ジャンピングジャム」(ジャンピングジャム写真集より)
熱気に包まれた「ジャンピングジャム」(ジャンピングジャム写真集より)
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 1980年代の博多ロックの出発を告げるイベントの一つが80年、福岡市中央区の少年科学文化会館で開かれたロックフェスティバル「ジャンピングジャム」である。

 この年、大阪・万博公園で「ジャムジャム スーパーロックフェスティバル」が2日間にわたって行われた。上田正樹、山下達郎、南佳孝、RCサクセション、桑名正博、柳ジョージ、アン・ルイスなど当時のトップミュージシャンがステージに上がった。福岡からロッカーズが参加した。

 現在、制作プロダクション「パインズ」の代表、米岡誠一はロックファンの1人として会場にいた。このとき、22歳だった。

 米岡は高校時代からギターを始めた。大学時代には同市・天神のライブハウス「照和」のオーディションを受けたこともある。

 万博公園のロックフェスタに行ったのは懇意にしていた渡辺プロダクションの九州支社長から「観(み)た方がいいぞ」と勧められたからだ。その圧倒的なロックパワーに触発を受けた。

 「福岡でもこのようなイベントができないものだろうか」

 それを実行に移したのが「ジャンピングジャム」である。10以上の地元バンドが参加、福岡のロックフェスティバルとして定着した。

 82年 三井グリーンランド。

 84年 福岡スポーツセンター。

 86年 福岡スポーツセンター。

 80年を皮切りに2年ごとに開催した。

 ×    ×

 ブルースシンガーの山部善次郎が乱入したのは84年のフェスタのときだ。参加バンドに山部の名前はなかった。「なんでおれを呼ばんとか」と突然、ステージに上がった。

 会場には楽器の販売コーナーもあった。そこのギターが1本、紛失していた。その1本で歌っていたのが山善だった。

 「確か、月賦で払ってもらったと記憶しています」

 米岡は開催中のエピソードの一つを語った。

 80年代に入り、博多ロックは「全国区」になる。九州以外でのライブでも「博多ロック」というブランドで人気を集めるほどだった。70年代、フォーク系ライブハウス「照和」が福岡ブランドになったような状況が80年代にはロック界にも生まれた。

 「ジャンピングジャム」はこうした博多ロックの全盛時代の象徴でもあった。米岡はこのイベントを次のように回顧する。

 「ミュージシャンだけでなく、PA(音響)、裏方などすべての人々がロックをしていた」

 大げさに言えば福岡という都市がロックをしていた、といえるかもしれない。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/10/27付 西日本新聞夕刊=

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