博多ロック編<223>幸運の「アクシデンツ」

「アクシデンツ」のメンバー(左から2人目が原島)=アルバム「ナイト・タイム」より
「アクシデンツ」のメンバー(左から2人目が原島)=アルバム「ナイト・タイム」より
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 「ロッカーズ」の陣内孝則と「アクシデンツ」のスマイリー原島(原島宏和)は同じ高校だ。学年で言えば、陣内が1年先輩だ。高校に入ってバンド活動していた陣内はメンバーの中で年下だった。

 「博多と言えば九州男児…1学年違えば、天国と地獄。街ぜんたいが体育会のようなものだ」

 陣内は自伝的ロック小説『アメイジング・グレース』(幻冬舎刊)でこのように記している。「パシリ(使い走り)的な位置」に「いいかげんうんざり」して「後輩たちを集めて新しいバンドを結成」することにした。

 「正確には、すでに活動していた後輩のバンドに目をつけて『おまえクビ、オレが歌うけん』とボーカリストを追い出したのだ。乗っ取りである」(同書より)

 「クビ」になったボーカリストが原島である。原島は熊本市生まれ。父親の転勤で少年時代から福岡市に住むようになった。中学時代からラジオなどで洋楽を聴いていた。高校に入ってまもなく同級生とバンド「アルバトロス」を結成した。陣内はこのバンドを乗っ取ったのだ。

 「私(原島)はバンドのマネジャー兼陣内さんの付き人みたいな形になりました」

   ×    ×

 原島は高校卒業後、日本専売公社(現在JT)九州支社に就職し、音楽活動から離れていた。ただ、「80’sファクトリー」などライブハウスにはよく顔を出していた。

 「原島、バンドをやらないか」

 顔見知りの音楽仲間から声をかけられ、1982年に結成したのが「アクシデンツ」である。原島はボーカルと主に作詞を担当した。本格的な作詞第1作がポップ的ナンバーの「雨のメインストリート」だ。この曲がラジオから流れ、家業の手伝いをしていた山部善次郎がそれを聴いて「負けるか」と音楽の道へ復帰したエピソードがある。

 「プロになるといった強い思いはあまりなかったがトントン拍子に進んだ」

 結成翌年には松本康の「ジュークレコード」から自主制作盤「ナイト・タイム」(全4曲)をリリース、さらに徳間ジャパンから「ヒューマン・ズー」でメジャーデビューした。原島は5年間で会社を退職し、「アクシデンツ」は86年に上京、翌年の解散まで4枚のアルバムを出している。

 原島は「いろんなバンドがあった」と振り返る。博多ロックはビート系バンドで一括(ひとくく)りされがちだが、80年代の博多ロックは多様なサウンド、スタイルを持ったバンドのモザイク模様だった。多様性と広がり。「アクシデンツ」はその象徴的存在だったといえる。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/11/10付 西日本新聞夕刊=

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