博多ロック編<235>運転席の作詞ノート

「フルノイズ」のライブ用ポスター
「フルノイズ」のライブ用ポスター
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 福岡市東区の井上マサルは4トントラックのドライバーとして働いている。運転席、助手席のある狭い空間がマサルの書斎だった。バッグの中の小さなノートを取り出し、思いついたフレーズを書きとめる。作詞だ。空いた時間にいつもこのノートに言葉を埋めていく。

 自分では1980年代の人気バンド「フルノイズ」は解散したとは思っていない。秋には再び活動を始めようと準備している。

 「旧作ばかりだとかっこ悪い。新作も半分くらいはやりたい」

 新作のための詞作りである。「ロックは心の叫びだ」。マサルは今でもそう思っている。心の叫び。詞、音作りの根底にある不変の、揺るぎない思想だった。

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 マサルが長崎県西彼杵郡から親の転勤で福岡市東区西戸崎に引っ越してきたのは小学6年のときだ。1966年の西戸崎には米軍キャンプがあった。カルチャーショックを受けた。

 「米兵たちが町を歩き、看板は横文字。なんていう町だろうか」

 年1回、キャンプ内を開放するカーニバルの日があった。ハンバーガーなどを売る店も並び、マサルはお祭り気分でうきうきしていた。古い格納庫の中にはステージがあり、米兵のバンドが演奏していた。

 マサルはGS(グループサウンズ)をテレビで見ていたが、興味はなかった。そのバンドはまったく違った。ヒゲもじゃの顔に長い髪、服装もそれぞれ違った。

 「今思えば、演奏は下手だったと思うが、これがロックか。かっこいい」

 中学ではビートルズのリンゴスターに入れ込んだ。高校ではラグビー部へ。練習後、着替えに戻ると級友がギターの練習をしていた。仲良くなったその級友からライブハウス「照和」のオーディションを受けるので「ついて行ってくれ」と頼まれた。落ちた。今度は2人で挑戦へ。マサルは楽器がやれずボンゴをたたいた。級友が住んでいた隣町の新宮までの定期券を買い、寺の境内で毎日、練習した。

 バンド名は「春風馬亭」。漢文の時間、黒板に大書きされた4文字を頂いた。半年後のオーディションで合格した。当時、「照和」に出演していた高校生は「春風馬亭」と山部善次郎の「田舎者」くらいだった。

 我流のボンゴが甲斐よしひろの目にとまった。

 「ハッピー・フォーク・コンテスト」の全国大会優勝曲「ポップコーンをほおばって」の演奏に臨時メンバーとしてボンゴで参加した。

 「人を喜ばすことがしたい」。少年時代に漠然と考えていたことが具体的な輪郭を持った。音楽だった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/03/02付 西日本新聞夕刊=

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