博多ロック編<237>破壊と再生のために

「モッズ」の4人=初アルバム「ファイト・オア・フライト」より(部分)
「モッズ」の4人=初アルバム「ファイト・オア・フライト」より(部分)
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 80年代の幕を開ける革命的映画が福岡市出身の石井聰亙(そうご)(現・石井岳龍(がくりゅう))監督の自主制作映画「狂い咲きサンダーロード」だ。日大芸術学部の卒業作品で、商業映画での上映を想定して16ミリで撮影されている。

 映画は「サンダーロード」という架空の街を舞台に権力に挑む暴走族の一匹狼(おおかみ)を描く「爆走パンクムービー」(DVDのキャッチコピー)だ。

 石井監督はそれまでの日本映画に対して「自分は『破壊』と『再生』をしないといけない立場なんだってことは当時から意識していましたね」と対談の中で語っている。

 この映画は見方を変えれば「ロック映画」でもある。石井監督はこうも語っている。

 「俺は音楽が好きで好きで、高校のときはミュージシャンに憧れてたりしてて、バンドをやりたかった…その頃、海の向こうでは僕らと同じ歳のやつら、SEX PISTOLSとか、THE CLASHとかがパンクという形を作っちゃったんですね…それに対する負けない表現を…常に音楽のことは気にしてて」

 この映画のサウンドトラックとして「頭脳警察」のパンタなどと一緒に参加したのが博多のメジャーデビュー前のロックバンド「ザ・モッズ」だ。「モッズ」のマネジャーが石井監督と知り合いだったこともあるが、監督は地元博多のパンクバンドを意識したこともあろう。

 ×   ×

 「モッズ」の録音は福岡県須恵町にあった有住壽一の「ワンナイン・レコーディングサービス」で行われた。録音は朝からスタートし、翌日の未明まで続いた。有住は翌日夜には鮎川誠がゲスト出演する「YMO」のライブに行く予定もあったこともあり録音はノンストップの強行軍になった。

 石井監督も途中からスタジオに姿を見せ、録音を見守った。演奏だけの曲を含めて12曲。まず演奏だけを録音し、最後にボーカルの森山達也が吹き込んだ。有住は言う。

 「森山さんの歌入れのときには他のメンバーは床に横になっていました」

 この映画は石井監督のもくろみ通り、一般映画館でも上映され、映画界に衝撃を与えた。それだけではない。この映画は新生「モッズ」を産み落とすのだ。

 森山は「あれ(映画)がポイントだった。あれがなかったら今のモッズはなかった」と自著で語っている。ベースの北里晃一も「このときに絆が強固になった」と言う。寄せ集めバンドは徹夜の録音によって同体になった。1979年、現在まで続く3期「モッズ」が誕生、日本のロックの破壊と再生への旅立ちでもあった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/03/16付 西日本新聞夕刊=

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