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フォーク編<356>大塚博堂(8)

博多の屋台で談笑する大塚博堂(右)と井手ごいち(中央)
博多の屋台で談笑する大塚博堂(右)と井手ごいち(中央)
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 福岡市の井手ごいち(72)のアルバムの中には博多で大塚博堂と一緒に写った写真が1枚だけある。博多での下積み時代ではなく、博堂が東京でデビューを果たした後の、1979年ごろの写真だ。写真には屋台でくつろぐ博堂と井手が収まっている。

 「上京後も博堂さんが博多に来たときはいつもご一緒しました」

 井手は博堂が売れない時代、売れた時代も支え続けた一人だ。20歳から飲食業に従事し、72年ごろ、同市中央区舞鶴にあったナイトレストラン「ブリアン」にアルバイトとして入っていた。この店にもジャズコンボのライブがあり、ボーカルが博堂だった。

 博堂はクラブ「絹」だけでなく、クラブ「長島」などいくつかの店でも歌っている。バンドマンは引く手あまたで、ほとんど掛け持ちで仕事をこなし、金回りもよかった。当時、甥(おい)の大塚義則(65)は大分県別府市から福岡市の大学へ進み、下宿していた。

 「金に困ると叔父(大塚博堂)が借りていたマンションに行って、千円とか2千円とか小遣いをもらっていました」

   ×    ×

 井手は「ブリアン」のカウンターの内から博堂の歌を初めて聴いた。その後はいつも博堂の歌に合わせて足でリズムを刻み、体をスイングさせた。それを目にした博堂がある日、演奏の合間に声を掛けてきた。

 「乗っていますね。音楽を好きですか」

 「大塚さんの声は人間の声ではありませんね」

 井手はお世辞を言ったわけではなく、感じたことを素直に口にした。

 「今度、昼間にコーヒーでも飲みませんか」

 博堂の誘いで、同市中央区天神の福岡ビル地下の喫茶店「門」で会い、音楽などについて語り合った。交流を深めた。博堂は内向的な性格などもあって、仲間のバンドマンにも一定の距離を置いていた。ただ、井手に対してはその距離を詰めている。

 「同じくらいの年で、大塚さんとは正反対の外向的な性格なところがよかったのかもしれません」

 博堂は72年に博多から上京。井手は75年に同区警固に居酒屋「古事記村」を開店した。福岡市では民芸居酒屋の走りみたいな店で、多くの客でにぎわった。離れていても二人の友情は博堂が死去するまで続いた。

 井手のもう一つの顔は詩人だ。「トイレ詩人」と自称する。「古事記村」のトイレからLPレコードに収録される作詞・井手、作曲・博堂の曲も生まれる。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/11/06付 西日本新聞夕刊=

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