フォーク編<360>大塚博堂(12)

博多時代からオリジナル曲を作っていた大塚博堂
博多時代からオリジナル曲を作っていた大塚博堂
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 〈過ぎ去りし想(おも)い出は 木枯らし吹く街のように 孤独な胸の奥深く 通りすぎて行く…〉

 これは大塚博堂の作詞・作曲の「過ぎ去りし想い出は」の一節だ。今でもファンに愛唱されている代表曲のひとつである。1977年に発売されたセカンドアルバムのタイトルにもなっている。

 「この曲は私も歌わせてもらいました。当時、歌詞は1番までしかなく、『短いね』と言ったことを覚えています」

 こう語るのは博多時代、博堂と親しかった福岡市の貴子だ。貴子が博堂に出会ったのは西中洲にあったクラブ「サンジュリアン」だった。貴子は17歳からクラブ「薊(あざみ)」で歌っていた。お客さんと一緒に、博堂が歌っていた「サンジュリアン」へ行った。そこで博堂と知り合い、貴子が呼ぶ「博堂仲良しグループ」の一員になった。貴子は料理が好きで、時々、博堂のバンドに手料理を差し入れた。

 「バンドマンは外食ばかりでしたから。博堂さんは好き嫌いがまったく、ありませんでした」

 貴子は物静かであまりしゃべらない博堂とは違って、気の強い、はっきりとモノを言う性格だ。博堂のことを「ゴリ(ラ)ちゃん」と呼んでいた。

 「おれ、顔があまり、よくないから写真には写りたくない」

 博堂の言葉に貴子が「そうそう」と言えるほど、博堂は「仲良しグループ」には気を許していた。メンバーは主にバンドマンで、それぞれクラブなどの店の仕事が終わった後、いつも中洲の小さなジャズバー「ブルーノート」に集まった。貴子は「音楽と女性の話ばかりでした」と話す。貴子はジャズを中心に歌っていた博堂に71年当時、流行していた「また逢う日まで」を「歌ってみては」と薦めたりした。博堂は実際にクラブでこの曲を歌った。

   ×    ×

 貴子が証言するように博堂はジャズなどのカバー曲だけでなく、すでに博多時代からオリジナル曲を作っていた。ギターの弾き語りで「過ぎ去りし想い出は」などをひそかに歌っていた。貴子は博堂からその楽譜をもらい、博堂のギターをバックに歌ったこともある。

 博堂はシンガー・ソングライターへの道を博多時代に準備していた。貴子は言った。

 「博堂さんはロマンチストで、欲のない人だった。いずれ世に出る人だと思っていました」

 アルバムの中で書き加えられた「過ぎ去りし想い出は」の2番は次の歌詞だ。

 〈過ぎ去りし想い出に ただ一人涙うかべ 若い日のにがい酒に もう一度酔いしれる…〉

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/12/04付 西日本新聞夕刊=

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