フォーク編<369>大塚博堂(21)

「めぐり逢い紡いで」を歌った布施明(1970年代)
「めぐり逢い紡いで」を歌った布施明(1970年代)
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 録音スタジオの照明がすべて消された。暗闇の中、明かりはミキサー室の機材のランプだけだった。気持ちを高めるためだった。

 「そのランプがまるで夜の遠くに見える街並のようで、涙が込み上げてきた」

 大塚博堂はそう思いながら歌い始めた。

 〈胸のボタン ひとつはずして あなた好みに変わってゆく…めぐり逢い紡いで…〉

 博堂が作曲したヒット曲「めぐり逢い紡いで」(1978年)である。同年の紅白歌合戦では布施明が歌った。博堂、布施は同じ渡辺プロダクションで、博堂だけでなく布施も歌った。二人は浅からぬ縁があった。博堂は新人時代、先輩格の布施の前座で歌ったことがあった。

 「ぼくの前に大塚博堂を歌わせないで」

 このように布施が言ったエピソードを周辺の人は語る。布施は博堂の歌唱力を評価していた。博堂の死去後、布施はテレビ番組の中で次のように追悼している。

 「大塚博堂という人はすごく才能、タレントがあってそれを短い間に使い、使い切った」

   ×   ×

 「めぐり逢い紡いで」の作詞は「るい」である。女性のような名前だが、「るい」は博堂の3人目のマネジャー、小坂洋二のペンネームだ。藤公之介から「るい」へ。作詞家の交代について、博堂と近い人は「さらに新しい世界を求めたのではないか」と言う。「るい」はテレビ番組の中で次のように語っている。

 「彼(博堂)の声をたぎらせて、音域をめいっぱい使ってぶつけるものを聴いてみたいと思った。『めぐり逢い紡いで』は女性側から歌われる詞ですが…情念っぽい世界を、彼の声で聴いてみたかった」

 「めぐり逢い紡いで」は2つのバージョンがある。サードアルバム「もう少しの居眠りを」に収録された後にシングルカットされた。そのレコーディング風景が冒頭のシーンである。

 シングル盤は少し明るい感じに編曲されている。このアレンジについて、博堂の甥(おい)で、シンガー・ソングライターの大塚郷は「曲がヒットしたので、もっと幅を広げようとしたのではないでしょうか」と話す。それだけではなく、布施の歌の方が知られるようになったので、作曲者としての自己主張もあったのではないかと思う。

 「めぐり逢い紡いで」は博堂の死後、幾人かの歌手がカバーして歌い継がれている。 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2018/02/26付 西日本新聞夕刊=

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