フォーク編<375>とべない飛行船(2)

「スマッシュ11」のディレクターだった野見山実
「スマッシュ11」のディレクターだった野見山実
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 北九州市から福岡市内の大学に通っていた針尾清は7円はがきを買って、毎日、耳を傾けていたラジオ番組宛てに投稿した。

 「美しい芦屋(福岡県遠賀郡)の海岸へタダで行ける。それは小倉駅前から出ている芦屋ボート場行きの無料バスに乗る方法です」

 RKB毎日放送(福岡市)の深夜番組「スマッシュ11(イレブン)」の中の「情報ネタ」のコーナーだった。針尾のこのはがきはボツになった。それでも小さな投稿はラジオと聴取者をつなぐ双方向の大きな回路だった。

 1967年から「オールナイトニッポン」などのヤング向けの深夜番組が始まった。受験生を中心にした若者に支持され、深夜放送の余波は地方局にも及び、自主制作番組の「スマッシュ11」は69年4月にスタートした。

   ×    ×

 午後11時から1時間の生番組。それまで全国ネットの「大学受験ラジオ講座」が放送されていた。その番組を朝方に回しての変更はラジオ局長のクビをかけた冒険だった。

 時間帯を確保したものの、中身は真っ白だった。まずは担当ディレクターをだれにするか。その会議があった。ディレクターの野見山実はトイレに立った。

 「当たったら困る」

 トイレから戻ってみると野見山に決まっていた。放送まで3カ月しかなかった。

 ヒントになったのは映画「007」と劇作家、シェークスピアの全集(40巻)だった。全集は英語教師だった父の蔵書だったが、高校時代から愛読していた。

 「番組の命は企画構成とスピード感と思った」

 冒頭、タイトルからテーマ音楽へと流れる番組の定型を破り、最初にニュースを導入した。募集した「スマッシュガール」が街中に出て現場から生リポート…。当時としては斬新な企画構成だった。

 放送が始まると、受験講座の時間帯変更に保護者からの抗議が殺到した。だが、若者の反応は違った。

 「高校生だけで30%から40%、毎晩、スマッシュ11を聴いているという驚異的な聴取率を記録しました。この番組を聴いていないと翌日、学校での話題についていけないという状況でした」

 投稿者だった針尾はスマッシュ11の生放送中、放送局を約束なしで訪ねた。

 「アルバイトはありませんか」

 保安員から連絡を受けた野見山はレコードをかける間を縫って、急ぎ足で出てきた、という。「話は後で」。番組終了後、野見山は「はがき整理のアルバイトがある」と言った。のちに針尾が結成した「とべない飛行船」をバックアップする野見山との最初の出会いだった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2018/04/09付 西日本新聞夕刊=

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