フォーク編<386>とべない飛行船(13)

北九州市・宝町公園での定期ライブ(1970年代後半)
北九州市・宝町公園での定期ライブ(1970年代後半)
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 針尾清が1975年に結成したバンド「とべない飛行船」が拠点にしたのは北九州市のデパート、小倉井筒屋の近くにあった宝町公園だった。この公園は56年に整備され、99年、街作り事業の中でなくなっている。針尾はこの場所にたどり着いた経緯についてこう語る。

 「若松や戸畑の公園などでライブをしていましたが、あまり人が集まりませんでした。宝町公園は猫の額ほど小さな公園でしたが、繁華街の中にあるので、何があっているのか、と人が見に来るんです」

 週末はこの公園で定期的にライブを行った。昼頃から夕暮れまで。街中のため、時折、周辺の住民から「音がうるさい」との苦情が出て、実際に警察から注意を受けたこともあった。ただ、都市の中の祝祭空間として認知されていった。針尾の得意技は演奏器材のための「電源探し」だった。

 「どんな場所でも電源を見つけ出すことができた。それは執念だったと思いますが。宝町公園の電気は当時、公園横の道沿いで夜間営業していた屋台の電源を見つけて、その組合と交渉しました」

   ×    ×

 料金は投げ銭スタイルだった。それでもこのお金でバンド5人の生活費をまかなうことができた。また、パンなど食べ物の差し入れも少なくなかった。

 「最初は1日せいぜい1万円くらいのカンパが、半年後には3~5万円くらいになりました。1万円をカンパする人もいましたね。毎回、200人が見に来てくれました」

 針尾が取った集客作戦の一つは見物客の名簿作成だった。ライブ情報などを掲載した会報を作り、入会者を増やしていった。3千人にも名簿は膨らみ、のちのファンクラブの基にもなった。客層は大学生以上と考えていたが、中高生が主流だった。とべない飛行船のバンドスタイルはフォーク・ロックだった。それにアイドル路線の色も混じっていた。

 「中高生は保護者と一緒に来る場合も多く、幅広い客層でした」

 福岡市ではフォーク喫茶「照和」が拠点としてあった。北九州市のとべない飛行船は屋内ではなく、青空の下で育った。

 「宝町公園といった街頭での投げ銭スタイルを継続してやっていたバンドは、当時としては全国にも少なかったと思います」

 公園での2年間の地道な積み重ね。それは青空に向かって飛び立つ助走だった。 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2018/07/09付 西日本新聞夕刊=

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