フォーク編<387>とべない飛行船(14)

「とべない飛行船」の応援パレードをするファン(1970年代後半、北九州市・小倉の繁華街で)
「とべない飛行船」の応援パレードをするファン(1970年代後半、北九州市・小倉の繁華街で)
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 北九州市・小倉の宝町公園を拠点に活動していたフォークバンド「とべない飛行船」が3年間の集大成のステージに選んだのは小倉市民会館だった。リーダーの針尾清は言う。

 「アマチュアのバンドにはあこがれのハコでしたからね」

 とべない飛行船はメジャーバンドの前座としてこの場所で演奏したことがあった。また、針尾は学生イベンターだった頃、井上陽水、吉田拓郎などのコンサートを小倉市民会館で開いたこともある。思い出の深い場所であった。

 コンサートは1978年の10月。単なるあこがれだけでなく、その裏ではしたたかな戦略も描いていた。

 「プロデビューするにはインパクトがいる。小倉市民会館を満員にすればレコード会社などへアピールできる。満員にする自信もありましたし、目標を設定することで練習に熱が入る効果も考えました」

 入念に練られた、プロへのロードマップであった。

   ×   ×

 半年前から公園のコンサートでチケット(千円)を売り始めた。一方で、メディアでの露出も考えた。これをバックアップしたのは井上陽水などを育てたRKB毎日放送(福岡市)のディレクターだった野見山実だ。針尾は70年代初めに、はがき整理のアルバイトとして野見山に採用されて出会った。それが巡り巡って新しい形になった。

 野見山はラジオの新番組「ヤングリクエスト」のDJに、とべない飛行船の若手メンバーの村上輝晃、作本光弘を起用した。コンサートの数カ月前だ。番組は午後10時からの1時間で、バンドの曲は必ず放送の中で流し、コンサートの告知もした。野見山の胸中を針尾は次のように、受け取った。

 「野見山さんは陽水さんのようにゼロからスターを作りだしたかったのだと思います」

 メジャーを夢見て合宿生活をしながら青空コンサートで歌い続ける若者たち。それがスターになるという伝説の物語である。

 当日のコンサートは1800人が会場を埋めた。入りきれないファンもいた。35歳以上は無料にしていた。ファンは中高生が多く、保護者同伴を狙った作戦でもあった。

 当時、アマチュアバンドが単独で小倉市民会館を満員にすることは快挙に近かった。針尾、野見山にとっては予想通りの展開だった。まさに、このコンサートはプロデビューへの引き金になった。 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2018/07/23付 西日本新聞夕刊=

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