フォーク編<399>永井龍雲(2)

豊津中学野球部の龍雲(右)と義経
豊津中学野球部の龍雲(右)と義経
写真を見る

 福岡北九州高速道路公社副理事長、義経俊二(61)=福岡県岡垣町=は今年3月17日の夜、同県行橋市内のスナックで、永井龍雲の作品「ルリカケス」(2004年)を歌った。

 〈波穏やかな瀬戸内の 久慈の入江に佇(たたず)めば あの日幼き母さんの おてんば姿が目に浮かぶ…ルリカケス ルリカケス…〉

 1973年に福岡県・豊津中学校を卒業した同級生約40人が集まった2次会の席だった。

 「そんなに古い曲でもないのに、知ってもらっていてうれしいよ」

 こう声をかけたのは同級生の一人、龍雲本人だった。

 ルリカケスは鹿児島県の奄美大島とその周辺だけに生息する美しい鳥だ。龍雲の母、トミヱは歌詞にあるように奄美大島の瀬戸内町出身だ。ルリカケス=母である。

 義経がこの歌を歌ったのは〈あの日幼き母さんの おてんば姿が目に浮かぶ〉のフレーズに、素直に感情移入できたからだ。義経は言った。

 「私も母を亡くして、同じように思ったからです」

 -同窓会の夜。龍雲や義経たちは中学時代の思い出話などに花を咲かせた。

   ×    ×

 「龍」

 「ひょうたん」

 中学時代、龍雲と義経はこう呼び合う仲だった。

 「龍雲はニックネームをつける名人でした。少年時代、私はひょうたんみたいな顔をしていたんですかね」

 義経は笑いながら言った。二人は野球部で、バッテリーを組んでいた。龍雲は投手で4番。義経は捕手で7番か8番。

 「龍雲はコントロールがいい投手でした」

 当時、龍雲のあこがれの投手は巨人の堀内恒夫だった。

 「堀内投手の首のホクロをまねて、龍雲もマジックで描いていたくらいです」

 中学2年生のとき、郡の大会で優勝したこともあった。中学時代は野球一色でもなかった。フォークソング同好会的な集まりを作っていた。義経も参加した。吉田拓郎、井上陽水などによってフォークがメジャーになっていく時代が背景にあった。龍雲も全国に生まれたギター少年の一人だった。龍雲は語る。

 「最初のステージは中学校の体育館の落成式でした。『戦争を知らない子供たち』を歌ったと覚えています」

 野球と、音楽のフォーク。これは龍雲の少年時代の大きな出合いだった。 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2018/11/05付 西日本新聞夕刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]