フォーク編<406>永井龍雲(9)

龍雲(左)と岡本の長男(2005年)
龍雲(左)と岡本の長男(2005年)
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 福岡フォーク史の中で、常に中心で語られるのは天神のフォーク喫茶「照和」である。「照和出身の…」と、枕詞(まくらことば)的な言い方が定着している。言い換えれば、照和とクロスしないミュージシャンについては影が薄くなるということでもある。永井龍雲は照和の存在は「知っていた」と言い、まったく、無縁ではなかった。龍雲は語る。

 「知人の紹介で一度、オーディションを受けて合格しましたが、ステージに立つことはありませんでした」

 この一瞬だけ照和の空間に身を置いた。龍雲の引受先だった久留米市の「くすミュージック」の岡本勝時は言った。

 「すでにキャニオンからのデビューも決まっていて、地元のライブハウスに出る必要もなかった。それより、全国でのライブや曲作りに専念した方がいいと思っていました」

 照和で認められ、上京してデビューする-これが一つのパターンであった。龍雲は高校卒業し、上京、そして、福岡に来てデビュー、という逆のパターンだった。

   ×    ×

 「とにかく、たくさん曲を作ること。40から50曲あっても、そこからいい曲を選んでアルバムにしてもせいぜい、2枚くらい。やはり、100曲くらいためておかないとダメだ」

 レコード会社や岡本は長期戦略で考えていた。龍雲を大事に育てたい、との思いだ。龍雲は喫茶店「サン・フカヤ」やそば屋「黒田節」などでアルバイトしながら必死に曲を作っていたときもあった。孤独な日々でもあった。公式サイトのエッセーの中で、東北の被災地を再訪したときに触れて次のように記している。

 「僕に失いかけた孤独の本質を思い出させてくれた。一人だから叫ばずにはいられないんだ。涙せずにはいられないんだ。何かを産まずにはいられないんだ」

 その孤独から次々とアルバムが生まれる。4枚目のアルバム「夜・風・雨」(1980年)をリリースするまで約5年間、福岡にいた。龍雲は福岡フォーク史にもっと濃く刻まれていい存在だ。

 龍雲は「夜・風・雨」の発売後、岡本から離れ、次のステップのために上京する。以来、二人は会ってなかった。2016年の同じ日に、福岡県八女市でそれぞれのイベントがあった。龍雲が岡本を訪ね、三十数年ぶりに再会、二人は抱き合った。先月には岡本の「くすミュージック」も共催に入った龍雲のコンサートが久留米市で開かれた。=敬称略

 (田代俊一郎)

=2019/01/07付 西日本新聞夕刊=

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