フォーク編<407>永井龍雲(10)

永井(中央)と仲間たち=2018年12月、久留米市
永井(中央)と仲間たち=2018年12月、久留米市
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 福岡市のラジオ局「FM福岡」がスタートするのは1970年である。音楽番組としてはAM局のRKB毎日放送、KBC九州朝日放送が先行していた。永井龍雲が「想(おも)い」(78年3月)でデビューしたころはFM福岡が徐々に力を持ち始めていた。

 永井がFM福岡で番組「永井龍雲のミュージックラブレター」(1年間)を担当するのはデビューした翌月である。担当ディレクターは村元陽一で、ミキサーは川本由孝(62)=現・放送本部長=だった。ミキサーとしてはまだ、駆け出しだった川本は、永井との初対面での印象を語った。

 「頭の低い、まったくアーティストぶらない人でした。それは今でも変わっていません」

 川本は高等専門学校で通信士の資格を取得し、76年に技術職として入社、ミキサーの仕事もするようになった。

 「マイクの置き方などこまごまとしたことを先輩から教えられました」

 永井は番組内で、ギターを手にして弾き語りをすることもあり、ミキサーにとって腕の見せどころでもあった。永井はラジオについて次のように語る。

 「当時、FM福岡の家族的な雰囲気のおかげで、ズブの素人でありながらも、のびのびとしゃべれた気がする」

   ×    ×

 川本はこれをきっかけにミキサーとしての仕事だけでなく、永井の歌の世界に同調した。周波数が合った。

 「一つ違いの同世代で、私の気持ちを歌っているような気がした。ファーストアルバムを擦り切れるまで一番聴いたのは私ではないでしょうか。特に詞が好きです」

 1980年、東京、愛知、大阪、福岡のFM4局が合同で、開局10年の特別番組を24時間放送した。「ニューミュージック・ステーション」というコーナーではそれぞれの地域を代表するミュージシャンが出演した。東京は小室等、大阪は憂歌団、九州代表は永井だった。川本たちの想いが伝わる人選だ。

 永井は84年にもFM福岡で「ミッドナイトスクエア」という番組を1年間、担当した。その間の81年から1年間、全国放送の「オールナイトニッポン」でパーソナリティーを務めている。永井はラジオの魅力について双方向性を挙げる。

 「毎週、リスナーから多くのはがきが届いて、それぞれの悩みに同情し、それぞれの喜びにホッとした。ラジオにはそんな一対一の心のつながりを感じた」

 川本が共感する永井の詞の中には、リスナーから届いた喜怒哀楽の風景も反映されているだろう。

 川本は現在でも永井のコンサートに足を運んでいる。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2019/01/21付 西日本新聞夕刊=

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