フォーク編<409>永井龍雲(12)

70年代の器材を前に語る高本
70年代の器材を前に語る高本
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 大分県日田市の「ミュージックシティ」の高本伸(67)はPA(音響)のオペレーターとして、デビュー前から現在まで永井龍雲に伴走している一人だ。

 「すごい声だ。マイクの乗りはいいし、あまり、手の込んだミキシングをする必要がない。声のいい人は楽だ」

 これが高本の、龍雲に対する第一印象だ。コンサートのメインは森田童子で、龍雲はその前座だった。高本は1972年に「ミュージックシティ」を立ち上げ、龍雲だけでなく、井上陽水、松山千春、加川良など多くのミュージシャンの音響を担当した。1970年代から80年代にかけて、音響技術者としてフォーク共に歩いてきた。

 高本の家は電気店で、幼いころから音に親しんでいた。最初に聴いたレコードはシルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」だ。日田高校を卒業、地元のレコード店「ハンター」に就職し、日田市民会館で開かれたフォークシンガーの加川良のコンサートで、初めて音響に関わった。前座は井上陽水だった。

 「市民会館の音の悪さが気になり、器材、設備などの勉強を本格的にするようになりました。コンサートでPAが大事だということがわかりました」

 高本が仕事をしたのはコンサートだけではない。

 81年にローマ法王のヨハネ・パウロ2世が来日、長崎での野外ミサをPAとして立ち会った。また、昭和天皇の熊本県での植樹祭の式典にも携わるなど昭和史の一端を音響効果で演出したことになる。

   ×    ×

 「音響の仕事はアーティストの表現するものを的確に観客に伝えることだ」

 高本の音響哲学だ。当然、龍雲など弾き語り主体のフォーク系とバンドのロック系では音響に違いがある。高本は博多ロックの源流であるサンハウスのライブのPAにも数多くタッチしている。

 「ロックの音はステージの方から観客に投げかける。フォークはステージに観客を引き寄せる」

 龍雲はデビュー後、年間に約100本のコンサートをこなしていた。それに高本も同行、器材を積んだトラックで全国を走り回った。龍雲は語る。

 「伸ちゃんは九州のPA界の先駆者でもあり、そのアコースティックサウンドには絶対的な信頼を置いていました。ツアーではムードメーカーとして支えてもらいました」

 龍雲の楽曲の良き理解者でもあった高本は、龍雲がメロディーを付けたあるテレビCMに注目した。

 「このメロディーを元に詞を入れた曲に仕上げたらどうだろうか」

 龍雲にとって転機になる曲が生まれることになる。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2019/02/04付 西日本新聞夕刊=

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