フォーク編<410>永井龍雲(13)

 国民的な演歌歌手、五木ひろしが「暖簾(のれん)」をリリースしたのは1989年である。

 〈心にポツンと 寂しさの明(あか)りが灯(とも)る やさしい人に逢(あ)いたい こんな夜には 温かな言葉に ふれたい…〉

 この曲の作詞作曲は永井龍雲で、日本作詞大賞の優秀作品賞を受賞した。

 龍雲は現在まで60曲ほど他のミュージシャンに楽曲を提供している。作曲家、作詞家の位置も確立させている。中でも「暖簾」は龍雲にとって、様々(さまざま)な意味で転機になる作品だった。

 龍雲は1980年、4枚目のアルバム「夜・風・雨」を発売後、約5年間の福岡時代に区切りをつけ、23歳で上京した。79年のCMソング「道標ない旅」がヒットし、新しい抒情(じょじょう)派、井上陽水2世などと一部では呼ばれた。俗に言えば「売れるシンガー」に加わった。年間、約100本のコンサートもそれだけファンが広がったという証しでもあった。ただ、順風満帆な航路が約束されていたわけでない。

   ×    ×

 「だれも聴いてくれないのではないか」

 こういった不安に駆られることもあった。実際に、コンサートの回数、そして動員数が減る時期があった。ちょうど、進むべき方向を模索していた30歳のころだった。東京の街角で、昔のスタッフと偶然に会った。

 「共通の知り合いが五木ひろしさんのディレクターをしていて、アルバムの楽曲を探している、と聞きました」

 その売り込みのために作った曲が「暖簾」だった。龍雲のコンサートでPA(音響)を担当していた大分県日田市の高本伸は、龍雲が作ったあるラーメンのCMで流れた詞のない短いメロディーが心に残っていた。

 「これをヒントに曲として完成させて、コンサートで歌ったらどうだろうか」

 龍雲は当時、音楽だけでなく、私生活でも落ち込んでいた。

 「結婚しようと思っていた相手に失恋したばかりのときで、その苦しい心情を素直に表現しただけです」

 〈死ぬほど本気で 惚(ほ)れて 惚れて 惚れて 惚れ貫いた あの女(ひと)に逢いたい こんな夜には…〉

 歌った五木は「だから真に迫る心を打つものがあるんだね」と言った。

 「この楽曲を評価されて、今の自分のやりたいことが間違っていないのだという自信を得られたことが大きかった。等身大の自分を歌えばいいのだという確信です」

 龍雲にとって再生への暖簾をくぐった曲だった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

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