博多ロック編<208>「G」から始まった

「ヒートウェイブ」の山口(右)=1986年
「ヒートウェイブ」の山口(右)=1986年
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 福岡市・香椎の山口洋が「天の啓示」を受けるのは1977年12月26日、中学2年生の誕生日の出来事だった。

 美術家志望の山口は音楽家志望の友人の家に遊びに行った。友人がギターを教えてくれた。まずは「G」のコード…。

 「これを自分で弾いたときに雷に打たれたような感じ。啓示ですね。これしかないと思った」

 すべては「G」から始まった。父親のギターで練習を始めた。授業中以外はすべてギターの日々。

 「夜は布団をかぶって練習していた。十数年、ギターを弾いていた父を1週間で追い越した」

 高校に入ってエレキギターを買った。アンプ込みで17万円。

 「好きなことをしていいが、自分でやれ」

 父の言い分を守った。ギターのお金は天神の中華料理店でアルバイトしてためた。

 2度目の啓示は高校2年の授業中のときだ。

 「バンドを作ろう」

 教室を見渡した。音楽をやりそうなクラスメートに見当を付けた。教科書の余白に「お前はドラム」と書き、丸めて投げた。次は「ベース」、その次は「ボーカル」。こうして現在も続くバンド「ヒートウェイブ」が生まれた。最初からオリジナルも演奏していた。

 「天神には魔物が棲(す)んでいる」

 天神周辺を避け、東方面のスナックに飛び込んだ。

 「ライブをさせてください」

 スナックの常連女性客たちのアイドル的な存在の高校生バンドだった。

    ×  ×

 山口には自分で決めた3カ条があった。今も変わらない。

 群れない。

 媚(こ)びない。

 恐れない。

 「天神の魔物」とは「サンハウス」を磁力にした強固で濃密な博多ロック=8ビートの世界でもあった。そこに距離を置くことで「ヒートウェイブ」は独自色を出し、博多ロックの一種の異端児として成長する。

 「でも、博多のロックの恩恵も受けています」

 「サンハウス」が切り開いたロックファンの拡大。「サンハウス」の同伴者だった松本康のレコード店「ジュークレコード」には節約のため香椎から歩いて足しげく通った。

 「ブルースのレコードはなにから聴けば…と聞くと、『ブルース? 自分で探せ』と怖かったですね」

 山口は同市・親不孝通りのライブハウス「80s’ファクトリー」のステージに立つことを目標にしていた。

 「ここに行くとなにかがある、なにかが起こるとの期待感があった」

 ただし、「高校生禁止」。ようやく、と思った高校生卒業の1981年3月31日、このライブハウスは終わった。

 「あのときの悲しい気持ちはなんと表現していいかわからない」

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2014/06/23付 西日本新聞夕刊=

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