【きょうのテーマ】「カッパ伝説」 田主丸を歩く 「妖怪じゃない。水の神様」

田主丸に伝わる最古の河童像「川ん殿様」も特別に見せてくれた
田主丸に伝わる最古の河童像「川ん殿様」も特別に見せてくれた
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「なんでんかんでん屁の河童」というメッセージを込めて作られた「屁こぎ河童」
「なんでんかんでん屁の河童」というメッセージを込めて作られた「屁こぎ河童」
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「かっぱ駅」として親しまれている田主丸駅の外観
「かっぱ駅」として親しまれている田主丸駅の外観
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田主丸駅西側の道路沿いに石像が立ち並ぶ「カッパロード」
田主丸駅西側の道路沿いに石像が立ち並ぶ「カッパロード」
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田主丸駅のホームであぐらをかいて座る「お迎え河童」
田主丸駅のホームであぐらをかいて座る「お迎え河童」
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 ●駅に、橋に……町のあちこちに像 福岡県久留米市田主丸町

 筑後平野のほぼ中心にあり北に筑後川、南に耳納連山を望む田主丸(たぬしまる)町(福岡県久留米市)は、豊かな自然に恵まれ、果物や苗木の産地として知られています。地域のもう一つの自慢が、町中を流れる巨瀬(こせ)川のほとりに伝わる「カッパ伝説」です。地元の町おこし団体「九千坊本山田主丸河童族」事務局の菰田馨蔵(こもだけいぞう)さん(66)をガイドに、こども記者5人が「河童巡り」を楽しみました。

【紙面PDF】きょうのテーマ=「カッパ伝説」 田主丸を歩く

 ■名所を地図で紹介

 JR田主丸駅(久大線)の建物を見上げた倉掛愛奈(まな)記者は「駅がカッパの顔になっている。かわいい」とうっとり。

 菰田さんは「最初に言っときますがカッパは妖怪じゃない。水の神様です」と5人にくぎを刺し、駅で配布している「かっぱ巡りMAP」を広げた。巨瀬川とひばり川に架かる12の橋を中心に、町内24カ所の石像や石碑などカッパの名所を紹介。多くは河童族の会員や自治体が設置した。中西蓮記者は「町中にカッパ(像)がたくさんいる。田主丸はこの地図を見ているだけで楽しくなる町だ」とわくわくした。

 菰田さんは日本神話に出てくる水の神がカッパに姿を変え、全国に逸話が広がったことなどを教えてくれた。「田主丸のカッパ伝説は江戸時代に定着したと考えられる。まずは地元で一番古いカッパに会おう」と5人を連れ出した。

 ■科学万能の世でも

 「川ん殿様(どんさま)」と呼ばれるカッパ像は唐島地区の神社に奉納されていた。祭事以外では非公開だが、特別に見せてもらった。像を目の当たりにしたこども記者は目をむいた。

 木製で高さは30センチほどだが、大きく見開いた目と浮き出たあばら骨が怪奇なムードを放っている。「像を見たある研究者は宇宙人を連想したそうだ。江戸期の像とされるが、記録がなく謎に包まれている」と菰田さんは語った。森陽太記者は「カッパの不思議な面白さが分かった」と興味をそそられた。

 田主丸駅の西側を走る歩道の一部はカッパ像が立ち並ぶ「カッパロード」として整備され、町の中心部には屁こぎ河童、宇宙河童、鉄河童などの像が立っていた。江戸時代から続く酒蔵の庭には大好物のキュウリをつまみに酒を楽しむカッパの像があった。入江環記者は「酒造りは水が命だからカッパがいるんだ」と気付いた。

 「カッパは田主丸の生活に根ざした存在だ。だから科学万能の世になっても語り継がれている」と菰田さんは語り、中西記者は「この文化がいつまでも続いてほしい」と願った。

 ■いつか帰ってくる

 5人は最後に「初代河童族」の一人、藤田正登さんが開いた資料館「河童洞」を訪れた。正登さんの長男で菓子店「あけぼのや」を受け継いだ、公一郎さん(69)が「河童族」の歴史を教えてくれた。

 1954年、筑後川上流に夜明ダムが完成。大分・日田との川舟での物流が途絶えた。川沿いのにぎわいが消え、田主丸の人々は将来に不安を感じたという。ちょうどその頃、カッパ好きで知られた作家火野葦平(あしへい)が田主丸を訪れ、住民と意気投合。葦平の協力で55年に「九千坊本山田主丸河童族」が結成され、伝説の研究、土産物の開発、祭りの創造などを柱とした町おこしが始まった。

 森記者は「カッパはどうしていなくなったのか」と聞いた。公一郎さんは「川が汚くなり、どこかへ行ってしまった。川がきれいになれば必ず帰って来るさ。おいちゃんは信じているよ」とほほ笑んだ。

 志垣大和記者は「取材前はカッパはいたらいいなという程度しか考えていなかった」という。取材を終えて考えが変わった。「カッパはいる」-と。

 (6月18日に取材しました)

 ●子どもへのメッセージも 「河童画伯」の“いじめ除け”

 藤田正登さんは名物の菓子「河童のへそ」を考案し、伝説をまとめた本「田主丸の河童」を出版するなど地域のカッパ文化を発信する一方、墨絵で知られた「河童画伯」でもあった。

 正登さんは地域の子どもたちに「いじめ除け」と朱印した肉筆の河童の短冊を手渡していた。病になった晩年も描き続け、2002年に82歳で亡くなった後、部屋から短冊を納めた多くの段ボール箱が見つかった。現在は「孫の代まで使って」という父の遺志を継いだ公一郎さんが配布。こども記者も受け取った。

 短冊は長さ約30センチで、水面から顔を出したカッパの絵に「どんなに苦しくても屁の河童」という一文が添えられていた=写真。倉掛愛奈記者は「苦しくても上を向いていこうという正登さんの気持ちをもらい、心が温かくなった。この絵を見てどんなときも前向きにがんばろう」と思った。

 ▼田主丸「カッパ伝説」 「河童族」の研究によると球磨(くま)川(熊本)にカッパの総大将「九千坊」率いる一族がいた。戦国大名・加藤清正の美しい小姓にほれた九千坊は「尻小玉」(肛門にあると考えられた架空の臓器で、カッパに抜かれるとふぬけになるといわれていた)を抜いてしまう。激怒した清正に、球磨川を追われた一族は、筑後川に移り住み、久留米の水天宮の守り役となり、やがて田主丸の人情にひかれて巨瀬川にやってくる。

 水天宮は平家が滅んだ壇の浦(山口県)の合戦で入水した安徳天皇を祭っており、カッパと「平家伝説」の関わりは深い。菰田さんは「平家の落ち武者のほどけた髪とよろい姿から、頭に皿、背中に甲羅というカッパのデザインが生まれたのでは」と推測。入江環記者は「『川ん殿様』は平家一門の霊を慰めるために、だれかが作ったのでは」と考えた。

【紙面PDF】きょうのテーマ=「カッパ伝説」 田主丸を歩く


=2017/07/26付 西日本新聞朝刊=

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