【きょうのテーマ】炭鉱専用の線路跡を歩く 石炭で栄えたまちの歴史感じて

鉄道敷跡を歩いた。通勤電車がとまった妙見駅の跡があった
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最も古い炭鉱電車の運転席に乗ってみた
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炭鉱電車の運転席。電灯や暖房のスイッチがあった
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 ●世界遺産「三池炭鉱」 福岡県大牟田市 熊本県荒尾市

 鉄道ファンの間で人気の世界遺産が、福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にある。かつて石炭などを運ぶためにつくられた専用の鉄道敷跡だ。この地域には以前、エネルギーの源である石炭をほり出す「三池炭鉱」があり、石炭でまちが栄えていた。当時に思いをはせながら鉄道の跡を歩いた。

【紙面PDFきょうのテーマ=炭鉱専用の線路跡を歩く

 私たちがまず向かったのは、大牟田市旭町の交差点。市石炭産業科学館の中野浩志さん(47)が待っていてくれた。「ここは、鉄道ファンが写真をとるスポットの一つなんですよ」

 しばらくすると、れんが色の電車が通りすぎていった。重々しい感じがする車両だった。近くにある三井化学大牟田工場の専用の貨物列車で、線路も工場専用という。「昔、この線路で石炭をのせた機関車が走っていたんです」と中野さん。「当時の様子をちょっとだけイメージできたかな」

 かつて、このまちには国内最大の炭鉱、三池炭鉱があった。ほり出した石炭のほか働く人たちも運ぶ「炭鉱電車」も走っていた。その線路網はとなり町の熊本県荒尾市にまたがって炭鉱と港を結び、最盛期には全長150キロにおよんだ。私たちが見た線路は今も使われているけれど、もう使われていない線路の跡「三池炭鉱専用鉄道敷跡」(5・5キロ)は「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産になっている=イラスト

 鉄道敷跡を見ようと荒尾市に向かった。三池炭鉱の石炭をほり出す穴「万田坑」のそばに、線路の跡があった。近くには旧・妙見駅のホームの跡。ここは「炭鉱関係の仕事をする人を乗せる通勤電車のホーム」と中野さん。その当時はホームに人があふれていたのだろうな、と想像しながら私たちは鉄道敷跡を歩いた。

 最後に訪れたのは三川坑跡(大牟田市)。ここも三池炭鉱の一部で、これまで活躍した炭鉱電車4両が展示されていた。市世界遺産・文化財室の丸山正治さん(48)が案内してくれた。一番古いのは1908年のアメリカ製。私たちは特別に車内に入れてもらった。中は意外に広く、運転席は進行方向に向かって横向きについていた。丸山さんが「1本の線路で、炭鉱と港を行ったり来たりしていたから」と理由を教えてくれた。

 ほかの3両は▽1911年のドイツ製▽それをまねして日本でそっくりに造った1915年の車両▽この日最初に見た現役の電車と同じタイプのもの。「日本の技術が西洋に追いついていく様子が分かるでしょ」という丸山さんの言葉に、私たちはうなずいた。

 ●坑内探検を模擬体験 石炭産業科学館

 今回、私たちを案内してくれた中野浩志さんが勤める大牟田市石炭産業科学館では、石炭や炭鉱について学ぶことができる。

 まず本物の石炭をさわってみた=写真。見た目は真っ黒で重そうだけれど、持ってみると小さいパンぐらいの軽さでおどろいた。

 館の中でも迫力いっぱいだったのが、坑内探検を模擬体験できる展示だ。石炭をほりに地下へ行くためのエレベーターを模した乗り物に入り、私たちは「地下400メートルの世界」へ。エレベーターはがたがたとゆれ、私たちこども特派員はこわくなって思わず声を上げた。エレベーターを出ると、そこはうす暗い地下の採炭作業場。石炭をほるための、大きく力持ちそうな機械の数々と、それらを動かす人たちの働く様子(人形)が展示されていた。大牟田では1997年まで石炭がほられていたそうだ。

 館の周りの道路ぞいには、メタセコイアという木がならんで植えられていた。石炭はこの木が4千万年ほどかけて化石になったもので、「石炭のまちとして栄えた大牟田の象徴ですね」と中野さんは話した。

 ●わキャッタ!メモ

 ▼明治日本の産業革命遺産 19世紀後半から20世紀初めの日本で、短期間で産業化を達成したことをしめす一連の産業遺産群。製鉄・製鋼、造船、石炭産業の3分野で西洋の技術を取り入れ改良し、産業を発展させたことを今に伝えている。九州、山口県を中心に広い範囲にある23の構成資産からなる。

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=2018/08/30付 西日本新聞朝刊=

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