鯨食文化 政治の波にあおられ 息づく伝統-対立する価値観

調査捕鯨の副産物というクジラの赤身肉(日本捕鯨協会提供)
調査捕鯨の副産物というクジラの赤身肉(日本捕鯨協会提供)
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鯨肉の販売もあった「鯨フェス2018in九州&山口」
鯨肉の販売もあった「鯨フェス2018in九州&山口」
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 1969年、人類初の月面着陸に成功した米宇宙船アポロ11号には、マッコウクジラの頭部から得られる特殊な油「脳油」が使われたらしい。「極寒でも凍結しない潤滑油として60年代終わりまで重宝され、航空宇宙・軍需産業の発展に不可欠でした」

 公益財団法人、下関鯨類研究室(山口県下関市)の室長石川創(はじめ)さん(58)が説明する。調査捕鯨で団長などとして南極海へ14回航行。経験に裏打ちされた話に会場はうなずいた。

 1月下旬、福岡市の飲食店で開かれた「福岡楽鯨(がくげい)会」の第4回講座。話は国際政治の舞台裏にも及ぶ。当時、米国は「クジラは滅びゆく野生生物の象徴」などとして商業捕鯨停止を推進。真の狙いはソ連の捕鯨を阻止することではなかったか。東西冷戦の時代である。

 そのころ米メーカーは化学合成潤滑油を開発。鯨油の時代は終わる。「クジラを通して見えてくる日本の歴史や食文化、国際関係などいろんな世界を知ってほしいのです」。主催者は狙いを説明した。

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 今月13、14の両日、福岡市のJR博多駅前広場は鯨汁や鯨カレーなどを楽しむ市民でにぎわった。「鯨フェス2018in九州&山口」。日本捕鯨協会(東京)がゆかりの深い九州で調査捕鯨や鯨食文化について知ってもらおうと開催した。

 福岡、長崎などの取扱業者は冷凍の赤身肉、塩漬けした塩鯨などを出品。現在、市場に出回るのは調査捕鯨の捕獲分が大半で、調査の副産物との位置付けだ。

 鯨肉は優れた抗疲労成分を含む食材という。クジラは半年間、餌場で過ごし、残り半年は絶食で子育てに専念する。パワーの源が特有のアミノ酸バレニン。高タンパク低脂肪のスタミナ食だと展示パネルにあった。

 主催の協会が再開を目指す商業捕鯨は82年、国際捕鯨委員会(IWC)が一時停止(モラトリアム)を決定。日本は87年に中止し、国際捕鯨取締条約に基づいて調査捕鯨を始めた。

 目的は商業捕鯨の再開に向けて生息状況などを把握すること。調査データを科学的に判断すれば再開となるはずなのだが、政治的に難しい状況で、いまだに実現していないという。

 海外の反捕鯨団体は「クジラは賢いから」「捕鯨再開で絶滅の危機を招く」などと主張。協会は「感情的な理由」「かつての乱獲は鯨油が目的。今は食料として厳格な資源管理体制下にある」と反論する。

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 江戸時代以降、長崎では捕鯨集団「鯨組」が3藩で操業していた。水揚げ地の一つだった東彼杵(ひがしそのぎ)町は今でも鯨肉が食卓や宴席に並ぶ。戦後、全国最大の消費地は北部九州で、炭鉱や製鉄所の働き手を塩鯨が支えた。

 日本の近代捕鯨発祥の地、下関市出身の中野由紀昌(ゆきよ)さん(46)=福岡市=も鯨フェスを訪れた。高価で普段はなかなか手が出ないけれど、赤身肉やオバイケ(さらし鯨)などを家族のために買い求めた。「独特の脂にふくよかな甘味があって」無性に食べたくなる。

 幼い頃、晩酌する父親から刺し身をもらって食べた。「しゃりしゃりした食感」が懐かしい。

 歴史と伝統、暮らしに息づく鯨食文化。それをかろうじて今につなぐ捕鯨は国際政治にほんろうされ、価値観と文化の違いによる対立のため、存続を巡って蛇行を続ける。鯨好きはこの不運を嘆くしかないのか。

 中野さんは昨年、編集者として関わるインターネットのサイト「関門時間旅行」で古里を紹介する機会を得た。クジラの形のモニュメント「鯨館」の由来を書いた。

 「発注した当時の大洋漁業(現マルハニチロ)の社長は設計担当者に『向きはクジラの古里の南極海がある南南東に』と指示したのだという。クジラは古里を遠くに見つめ、山の上で泳ぎ続けている」

 アポロに沸いたころ、給食の定番メニューは鯨の竜田揚げだった。鯨を年数回出す長崎県内では今も人気という。不運の波を乗り越え、広く味わえるのはいつのことだろう。

=2018/02/21付 西日本新聞朝刊=

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