【九州の100冊】『大造じいさんとガン』 椋 鳩十 動物に託し 命の重さ問う

版画・山福朱実さん
版画・山福朱実さん
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 私が『大造じいさんとガン』と出合ったのは小学五年生のとき、国語の教科書でした。わずか十数ページの物語ですが小学生にとっては“長編”でした。それでも、一気に読み上げました。大空に飛び立つガンの頭領・残雪を、大造じいさんが見送るラストシーンが目の前に鮮明に広がり、すがすがしい気分になったのを二十年後の今もはっきりと覚えています。

 この作品は、太平洋戦争に突入する直前の一九四一年十一月、月刊誌「少年倶楽部」に発表されました。椋鳩十は動物を主人公にした児童向けの物語を三百以上も書き残していますが、『大造じいさんとガン』はごく初期の作品です。

 舞台は鹿児島県北部栗野岳のふもと。年老いた狩人から聞いたガン狩りの話として、物語はつづられます。翼に真っ白な混じり毛を持った残雪はガンの群れのリーダー。利口で人間を寄せ付けません。大造じいさんは、数年にわたって残雪と戦いますが、仕留めることができません。ある年、残雪は大造じいさんが用いたおとりのガンを助けようとしてけがを負います。思いがけず残雪を捕まえた大造じいさんは残雪を介抱してやり、けがの癒えた残雪を放つのでした。「おれたちはまた堂々とたたかおうじゃないか」と呼び掛けて。

 作品は現在も教科書に掲載されています。鹿児島市に住む椋の長男久保田喬彦さん(75)は、作品の魅力を語ります。

 「いつまでたっても新しく感じます。おじいさんとガンの関係性はいかなる時代も変わらない。おじいさんやガンの行動に変な理屈をつけないところも、深く考えさせられます」

 椋の作品に通じるもう一つの特徴は、正確な描写です。鹿児島県加治木町の椋鳩十文学記念館には、二百冊以上に及ぶ取材ノートが残され、狩りの方法から肉の分け方まで、その特徴を地区ごとに何通りも細かく書き出しています。講演に行けば、謝礼の代わりに地元の猟師を紹介してほしいと頼んでいたほど。クモやマムシまで、自宅で飼えるものは飼って観察し、生態や習性を描写しました。無駄がなく精密な文章がいつまでも古くならない要因でしょう。

 受け入れられなかったこともありました。一九七〇年前後、ある学校で講演したとき教師の半数以上がボイコットしました。『大造じいさんとガン』は、大戦直前に発表され、子どもを戦争へ駆り立てる意図が隠されている―というのが、その理由でした。

 これについて椋は、次のように心境を語っています。戦時中「死ぬことが美しい」という考え方が広まった。そうではなく「生きることこそ美しい」ことを強調したかった。不合理で、非人間的な軍国主義の時代だからこそ、「動物ども」の生命の尊厳をうたいあげることが、最も痛烈にクレージーな時代を告発することになると私は信じた、と。厳しい言論統制下にあっては、動物を主人公にしない限り、命の尊さを直接に伝えることが困難だったのでしょう。

 椋は一九三〇年、種子島で高等小学校の代用教員に就きました。そこでは「ふんどしで授業をして三カ月でクビになった」という逸話を残しています。久保田さんによると、当時の教え子はそんな授業は受けていないと言い、代用教員の任期も初めからの約束だったようです。

 「父はほら吹きだったという人も多い。サービス精神が旺盛なので聞く人の反応を見ながら喜ぶような話に変えたので、『ほら』になったのかもしれません」

 膨大な取材ノートに見られるように、几帳面(きちょうめん)でもありました。特に時間には厳しく、例えば空港に行くときは、高速が不通になって引き返し一般道で向かうという万が一の場合を想定して、時間を逆算して出掛けたといいます。

 さまざまな顔を見せる椋を久保田さんは「人間らしい人間というしかない」と言います。教え子が授業中にこっそり本を読めば「こっちの方がいいぞ」と別の本を渡したという話もあります。

 「鹿児島は人情がいい。ここなら飢え死にしない」と椋は言い、その言葉通り鹿児島に骨をうずめます。自ら「一匹狼」と称し、地方の作家として独自の創作活動を貫きました。

 読み直すと、大造じいさんと残雪の交流に変わらぬさわやかさを感じ、相手を思いやる気持ちや傷ついても一生懸命生き抜く姿が、命の重みや生き方を問いかけます。動物の本能や自然の懐の深さを通して人間の本質を問う。椋の基本軸は、最後までぶれることはありませんでした。目に見える豊かさだけに執着してギスギスと余裕のない今。「ほらの一つも吹けなくてどうする」という椋の声が聞こえてきそうでした。

 =敬称略

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 むく・はとじゅう 本名・久保田彦穂。1905(明治38年)、長野県下伊那郡喬木村阿島生まれ。法政大学在学中、詩人佐藤惣之助主宰の「詩之家」の同人となる。30年、鹿児島に移り、加治木高等女学校に勤務しながら、「椋鳩十」のペンネームで山窩小説「山窩調」を出版。38年、初めての児童向け動物物語「山の太郎グマ」を「少年倶楽部」に発表。47年から同県立図書館館長を務め「母と子の20分間読書運動」を提唱した。58年、図書館活動の功績により「西日本文化賞」受賞。「片耳の大鹿」で文部大臣奨励賞、「孤島の野犬」で国際アンデルセン賞、「マヤの一生」「モモちゃんとあかね」で第1回赤い鳥文学賞などを受賞。87年12月27日死去。

※「九州の100冊」は2006年~08年に西日本新聞で連載。九州を舞台とした作品、または九州人が書いた著作で、次代に残すべき100冊を選び、著者像や時代背景、今日的な意味を考えながら作品を紹介したシリーズです。この記事は2006年2月12日付で、内容は当時のものです。

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