<4>隣家に俊足の同級生

1989年12月25日付の西日本新聞。村松明彦さんが報徳学園のアンカーとしてテープを切る写真を掲載している
1989年12月25日付の西日本新聞。村松明彦さんが報徳学園のアンカーとしてテープを切る写真を掲載している
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●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 私の人生の大きな転機となったのが、小学5年に進級する際の引っ越しです。父がマイホームを建てたのは、兵庫県明石市の中朝霧丘(なかあさぎりおか)。この新居に引っ越さなければ、今の私はなかったとさえ、思うのです。

 たまたま隣には、村松明彦君という同級生の一家が住んでいました。村松君は足がとても速くて、学生時代に陸上選手だった父の洒(きよむ)さんは、彼に大きな期待をかけ、夜間練習をサポートしていたのです。もともと兵庫県は駅伝が盛んな土地柄で、西脇工業、報徳学園、須磨学園など、強豪高校がひしめいています。駆けっこに自信があった私は、引っ越すとすぐ、村松君らと週に3回、夜間練習をすることになりました。

 洒さんのことを、私は親しみを込めて「おじちゃん」と呼んでいました。午後8時前になると、「由水ちゃん、行くよ」。おじちゃんが家に呼びに来ます。そして、近くの自動車教習所で1時間ほど、タイムを計るおじちゃんの叱咤(しった)激励を受けながらひたすら走るのです。人けのない教習所は車も走らず安全で、適度のアップダウンもあって理想的な練習コースでした。実は無断侵入だったようですが、もう時効ですよね。

 私は「とにかく村松君に付いていくぞ。あわよくば抜いてやろう」と、懸命に彼の背中を追い掛けました。それでも届かず、いっぱいいっぱいになった頃、「タララーララー」とチャルメラの音が鳴るのです。

 ラーメンの屋台の車です。昔はよく近所を巡っていましたよね。村松のおじちゃんが毎回、「ご褒美」とおごってくれました。達成感もあり、あのラーメンは本当においしかったな。最後の方は、ラーメン目当てに走っている感じでした。ちなみにスープはしょうゆでした。福岡に住んで22年になる私は、今ではすっかり豚骨派ですが、あんなにおいしいラーメンは食べたことがありません。

 村松君は私と同じ大蔵中の陸上部に進み、ずっと私の目標になります。高校は報徳学園へ進学。1989年の第40回全国高校駅伝競走大会(記念大会)に、アンカーとして出場します。同じ兵庫県の西脇工業とのデッドヒートをわずか1秒差でかわし、当時の高校記録で優勝を果たしました。順天堂大に進み、92年の箱根駅伝で山下りの6区を走り、チームの3位入賞に貢献しました。こんなにすごい友達と小中学時代に切磋琢磨(せっさたくま)できたことは、今も私の誇りです。

=2018/04/05付 西日本新聞朝刊=

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