<5>パンチパーマの恩師

教え子の陸上部員たちと記念写真に納まる荻野卓さん(後列右)。後列左が小鴨さん
教え子の陸上部員たちと記念写真に納まる荻野卓さん(後列右)。後列左が小鴨さん
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●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 小学5年で兵庫県明石市立人丸(ひとまる)小に転校した私は、同級生の村松明彦君とその父で「おじちゃん」こと洒(きよむ)さんのおかげで、走る楽しさを知りました。夜間練習で力を付けて臨んだ校内持久走大会では、小5で2番、小6でついに1番になりました。家族や友達から「すごいね」とちやほやされ、褒められることの少なかった私はすっかりその気になります。「中学校では陸上部に入って、全国大会に出るぞ」と決意しました。

 1984年4月、大蔵中に入学。式の後、1年生全員を集めて、オリエンテーションがありました。会場に、サングラスにパンチパーマのとても怖そうな男性がいるのです。拡声器を手に「1組から順に整列」と指示するので「あ、この人、先生なんだ」と分かりました。「早く並べっ」とがらがら声で会場全体を仕切りまくっていて、漫画風に表現すれば、新入生は全員が冷や汗たらり、という感じ…。これが、私の生涯の師となる荻野卓(たかし)先生との出会いでした。

 既に身長160センチを超えていた私はバレー部にも熱心に誘われましたが、初志貫徹で陸上部へ。もちろん、村松君も一緒です。後から知ったのですが、荻野先生は全国レベルの選手を育て、明石市では名の知れた陸上指導者でした。前年度まで別の中学にいましたが、村松君のおじちゃんが「ぜひ大蔵中で指導を」と市教育委員会などに熱心に働き掛け、異動になったそうです。今思い返せば、荻野先生は着任したばかりの学校で、あれだけ全体を仕切るなんて、さすがのリーダーシップと感心します。

 陸上部での初日。荻野先生が何の変哲もない大学ノートをくれました。表紙に「練習日誌」と書いてあり、先生からは「これ書け」の一言だけ。一体何を書けばいいのか、みんなで頭を抱えました。取りあえず、日にちと練習時間と練習メニュー、感想を記入することにしました。

 毎朝、職員室に行って、荻野先生にノートを渡すのが日課になりました。先生は「その調子」「努力が足りない」などと、必ずコメントを添えて、放課後に返してくれます。今思えば立派な交換日記ですね。

 もともと先生は口数が少ない上、すごいがらがら声なので、何を言っているのか聞き取りにくいのです。私たちは怖くて聞き返すことなどできなかったので、練習日誌は、フォームの疑問点などを先生に尋ねる格好の通信手段になりました。

=2018/04/06付 西日本新聞朝刊=

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