<6>恩師がくれた「挑戦」

中1の時、800メートルのレースを走る小鴨さん(左)
中1の時、800メートルのレースを走る小鴨さん(左)
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●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 サングラスでこわもての荻野卓(たかし)先生の下、兵庫県明石市立大蔵中の私たち陸上部員は練習に励みました。寡黙さの中に情熱を秘めた先生でしたが、指導法はとても変わっていました。ただ見ているだけなのです。

 練習初日、先生はどこからか古ぼけたソファをグラウンドの片隅に持ってきました。そこに座り、ずっと私たちの走りを見続けたのです。時には居眠りしている感じでしたが、サングラスで表情はうかがえません。風邪で高熱があっても、ソファに横たわって監視します。私たちからすれば、「熱があるなら帰ってよ」と言いたいほどでした。

 そんな先生の口癖は「俺がよしと言うまで走れ」。練習スケジュールの説明なんてありません。私たちは「よし」と言われるまで、ひたすらタイム走やジョギングを続ける毎日でした。先生は、たまにいなくなっても、私たちが歩き始めたタイミングで「こらーっ」と帰ってくるのです。今思えば、私たちの自主性を試していたのでしょうね。

 ところが、そんな先生が私たちを忘れて帰ってしまう事件がありました。日が暮れて心配した保護者から学校に電話があったようです。真っ暗なグラウンドに先生が血相を変えて戻ってきました。でも、私たちには「忘れていた」とは言えず、「何で歩いているんだ。俺は走れと言ったぞ」と強がっていましたね。

 暑い日も寒い日も、大雨でグラウンドがびちょびちょの日も、先生は私たちを見守りました。雨の日に欠席者が出たら、「こんな状態なら俺は顧問を辞める」と、ものすごく怒ったこともあります。そんな先生の厳しさが私には合っていたようです。メンタル面がとても鍛えられました。「この先生について行けば強くなれる」。そう自分に言い聞かせて私は走りました。

 そして中3になった時、先生がくれた練習ノートの表紙には「挑戦」と書かれていました。目標の全国大会出場へ悔いのないように挑め‐。そんな先生のメッセージだったと思います。私は練習に打ち込み、「全日本中学校通信陸上兵庫県大会」で800メートルの標準記録を突破し、全国大会への出場を決めました。荻野先生が「よくやった」と握手してくれて、とてもうれしかったです。先生から握手して褒められたのは、後にも先にもこれっきりです。

 全国大会は予選落ちでしたが、先生がくれた「挑戦」は、私の人生で一番大切な言葉になりました。

=2018/04/07付 西日本新聞朝刊=

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