<8>幸運のダイハツ入り

1990年の大阪国際女子マラソンで4位に入賞し、トロフィーを掲げる吉田光代さん
1990年の大阪国際女子マラソンで4位に入賞し、トロフィーを掲げる吉田光代さん
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●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 1990年春、兵庫県立明石南高を卒業した私は「ダイハツ工業」の陸上部に入り、実業団ランナーになりました。高校で結果を残せていたら、大学に進んで楽しく走ろうと考えたかもしれません。ですが、全く納得のいく走りができなかった私は「実業団でもう一度、とことんやるぞ」と燃えていました。

 勤務先のダイハツ本社は大阪府池田市にあります。驚いたことに、住所が「ダイハツ町1丁目1番地の1」だったのです。「会社名が町名になるなんて、大企業ってすごい」と妙に感心したのを覚えています。

 そんな大企業の実業団に入れたのは、高校での実績がない私にとって、幸運でした。当時、ダイハツ陸上部は創部3年目の新興勢力で、有力選手は旭化成(宮崎)など名のある実業団へ入っていました。ダイハツの鈴木従道(つぐみち)監督は、たとえ無名でも伸びしろがありそうな選手を探し出しては、スカウトしていたのです。

 私が鈴木監督の目に留まったのは、高2の夏。ダイハツ1期生の選手2人が明石南高出身だった縁で、ダイハツの高地合宿に招待されたのです。合宿地は長野県飯田市のしらびそ高原。標高1900メートルを超えていて、かなり空気の薄い所です。私はすぐに呼吸が苦しくなり、実業団の選手にはとてもついていけません。ちょこちょこ坂道を走る程度でしたが、どういうわけか何をやっても褒められるのです。熱血指導で知られる鈴木監督も「ここをちょっと直せばいいフォームになるよ」なんて優しく教えてくれて、とても楽しい思い出になりました。

 高3の夏、私は右膝を故障していましたが、監督は再び高地合宿に招いてくれました。さらには治療先まで紹介してくれたのです。そんな流れで私はすんなり入部しました。今思えば、鈴木監督の戦略にまんまとはまったのですね。

 入部したダイハツには、雲の上の人のような2人の先輩がいました。吉田光代さんと浅利純子さんです。吉田さんはこの年1月の大阪国際女子マラソンで4位に入り、バルセロナ五輪代表候補に挙がっていました。浅利さんは後の93年世界陸上女子マラソンで優勝し、日本の女子陸上選手で初の世界王者になった名ランナーです。この時はまだマラソンに出ていませんでしたが、既に日本陸連の強化選手に指定されていました。この両先輩にどう追いつくか。私の競技人生がスタートしました。

=2018/04/11付 西日本新聞朝刊=

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