<11>足首を故障 拒食症に

1991年8月、ダイハツの同僚と夏祭り見物に訪れた小鴨さん(中央)。摂食障害で極端に痩せていた
1991年8月、ダイハツの同僚と夏祭り見物に訪れた小鴨さん(中央)。摂食障害で極端に痩せていた
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●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 1991年6月、ダイハツ陸上部に入って2年目の私に、大きな試練が訪れました。長野県の高地合宿で、経験したことがない鈍い痛みが右足首を襲ったのです。医師の診断は「けんしょう炎」でした。

 ダイハツは春から秋にかけて月1回の高地合宿に力を入れ、心肺機能を強化するアップダウン走に取り組んでいました。もともと地面を強く蹴らない走法の私の足首は、練習に熱が入るあまり、坂道で固まってしまい、悲鳴を上げたのです。

 完治するまでは走れないので、トレーニングはストレッチと水泳に限られます。その時、私は体脂肪率8%の理想的な体形を手に入れていました。すると、「走れなくても、48キロまで落とした体重だけは維持したい」という欲が働きます。自分から食べるのにブレーキをかけるようになり、やがて、食べ物を吐いてしまう拒食症に近い状態になったのです。

 ちょうどその頃、母方の祖父の井上威(たけし)が亡くなりました。葬儀に出席するため、私は兵庫県明石市の実家に戻りました。顔を合わせた母、祐子(さちこ)の第一声は「由水ちゃん、何があったの」。それもそのはず。高校時代に55キロだった私の体重は45キロまで落ちていました。身長は172センチありますから、がりがりに痩せ衰えたような姿で、足首には包帯まで巻いているのです。

 「もう陸上はやめて、家に帰ってきなさい」。母はそう言って譲らず、鈴木従道(つぐみち)監督に電話で退部を直談判しました。監督は「必ず秋口にはまた走れるようになりますから。もうちょっと待ってみてください」と答えたそうです。

 私の中でも、あえてやめようというまでの気は起こりませんでした。心の奥底に「せっかく実業団に入ったのだから、一度はマラソンの42・195キロを走りたい」という思いがあったのです。その時は、まさか半年後にマラソンを走り、おまけに優勝できるとは思ってもみませんでしたが…。

 教会での葬儀に出席し、祖父が亡くなる少し前に念願の洗礼を受けてクリスチャンとなったことを知りました。祖父の影響から、この教会の日曜学校に弟と通った日々などを懐かしく思い出すうち、疲れた私の心にも、何か穏やかなものが流れ始めました。

 「せっかく実業団に入ったんで、もうちょっと頑張ってみる」。私はそう家族に言い残し、大阪府池田市のダイハツ陸上部に戻っていきました。

=2018/04/14付 西日本新聞朝刊=

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