<12>復調 初のマラソンへ

神戸20キロ女子ロードレースで先頭を走る小鴨さん(右)。後ろは浅利純子さん
神戸20キロ女子ロードレースで先頭を走る小鴨さん(右)。後ろは浅利純子さん
写真を見る

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 1991年秋。右足首のけんしょう炎が癒えて涼しくなり始めると、私もようやく調子が戻ってきました。走って食べると元気が出て、また走る-。そんな良い循環が戻ったのです。もともと体重は落ちていたので、タイムもぐんぐん出始めました。9月に1万メートルで33分10秒の自己ベストをマーク。11月の神戸20キロ女子ロードレースに、先輩の浅利純子さんらと出場することになりました。

 当日は曇りで、風もほとんどない絶好のコンディション。走り始めてすぐ「きょうは調子がいい」と感じ、知らず知らずのうちに先頭に立っていました。集団の前に出て自分のペースで走るという、理想のレース展開になったのです。

 快調に先頭を走り続け、ゴールまであとわずか。後ろの集団から選手が1人、ぽーんと私の前に出てきました。やっぱり、浅利さんでした。私はあと100メートルで置いていかれ、惜しくも7秒差の2位でした。

 それでも、タイムは当時の日本歴代3位の1時間7分10秒。思いも寄らない好成績でした。いつもは怖い鈴木従道(つぐみち)監督も「優勝した浅利より、きょうは小鴨がすごく良かった。よく積極的にレースを引っ張った」とべた褒めでした。「監督からこんなに褒められたのは、高校時代に招待された高地合宿以来かな」。なんて無邪気に喜んでいると、次の日、監督に呼ばれ、告げられました。

 「大阪国際女子マラソンに出てみないか」

 私にとって、マラソン出場はダイハツに入った時からの目標でした。それが入部2年目で、早くもかなうのです。とにかく、胸がわくわくして「出ます」と即答しました。監督は、これがバルセロナ五輪の選考会になることも説明したそうですが、私は舞い上がって覚えていません。「ひょっとしたら、ひょっとするかもしれんから」。監督は、そう付け足しました。

 ダイハツから出場するのは、私と浅利さん、主将(当時)の今中恵子さんの計3人と決まりました。ただ、監督が最も期待しているのは浅利さんだと、誰もが分かっていました。だからでしょうか。後に、私が浅利さんの「ペースメーカー」として大阪に出場したという報道がありましたが、それは間違いです。私は監督からそんな指示は受けていません。監督は「ひょっとしたら」と、まだ20歳の私が持つ「若さ」と「勢い」に、淡い期待をかけたのではないでしょうか。

=2018/04/16付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]