<45>障害者と運動楽しむ

今も福岡市立障がい者スポーツセンターで指導する小鴨さん(左)。トレーニングする男性に明るく声を掛ける
今も福岡市立障がい者スポーツセンターで指導する小鴨さん(左)。トレーニングする男性に明るく声を掛ける
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●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 岩田屋を退社した私は、1999年7月から、福岡市立障がい者スポーツセンターで、運動指導員として働き始めました。臨時職員なので、勤務は月12日。フリーの陸上競技者としての練習時間も、十分、確保できるようになりました。

 センターでは最初、トレーニング室の管理業務をしていましたが、10月に集中的に講習会に通い、「初級障がい者スポーツ指導員」の資格を取得。ようやく、通ってくる障害者の皆さんに、いろんなサポートができるようになりました。

 私は子どもの頃から水泳が得意なので、プールでの指導を任されました。視覚障害の方が来ると、コーンを立て、優先コースをこしらえます。車椅子の方はスロープから椅子ごとプールに運び、入水を手伝います。股関節の障害がある方とは、股関節の動きを良くする水中運動を一緒にやりました。クロールの息継ぎのこつなどをワンポイントレッスンしたら、これがとても好評でした。健常者でも障害者でも一度競技を始めたら、「少しでも速くなりたい」という思いは、全く同じなのですね。

 もちろん、私の本業であるストレッチや筋トレの仕方も教え、一緒に車いすバスケットボールや風船バレーボールも楽しみました。中でも、サウンドテーブルテニスは、障害者に全く歯が立ちませんでした。目隠しをして球が出す音を頼りに打ち合う卓球の一種で、慣れた人なら白熱のラリーも可能です。私はどんなに耳を澄ませて集中しても、「スカッ」「スカッ」と空振りばかり。障害があるからこそ、鍛えられる能力がある-。人間の能力の奥深さを学びました。

 その後、私は中級指導員の資格を取り、今もこのセンターに勤務しています。障害者スポーツに関わるようになったおかげで、私の人生には新たな展開が広がっていくのですが、それはまたおいおい話しますね。

 当時、単独で競技活動を続ける私には、どうしても出たい大会がありました。92年バルセロナ五輪への出場を決めた大阪国際女子マラソン。私にとって一番愛着のある大会です。

 2000年の大阪は、同年夏のシドニー五輪女子マラソン日本代表選考会を兼ねていました。五輪で2大会連続メダルを取った有森裕子さん(リクルートAC)、私の前の同僚でアトランタ五輪17位の雪辱を期す浅利純子さん(ダイハツ)ら、かつてのライバルが出場を予定していたのです。

=2018/05/25付 西日本新聞朝刊=

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