<46>大阪「けじめ」の完走

2000年大阪国際女子マラソンの記者会見。安部友恵さん(左から3人目)、浅利純子さん(同4人目)、有森裕子さん(同6人目)らが顔をそろえた
2000年大阪国際女子マラソンの記者会見。安部友恵さん(左から3人目)、浅利純子さん(同4人目)、有森裕子さん(同6人目)らが顔をそろえた
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●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 20世紀最後の年、2000年。28歳の私は1月30日の大阪国際女子マラソンにエントリーしました。もし岩田屋女子駅伝部が存続していれば当然、出場した大会です。有森裕子さん(リクルートAC)、安部友恵さん(旭化成)ら、かつてのライバルも、シドニー五輪への出場権を懸けて、名乗りを上げていました。

 私は所属先をなくした上に、フルマラソンは1992年バルセロナ五輪以来、8年ぶりです。もちろん優勝できるなんて夢にも思ってはいませんが、自分の中でけじめをつけるために、この大阪を走りたかったのです。夫の松永光司(こうじ)も「由水が走りたい気持ちは痛いほど分かる。結果は考えず頑張っておいで」と背中を押してくれました。

 スタートラインには、8年前と同様に世界の強豪がひしめいていました。3連覇を狙うシモンさん(ルーマニア)や、前年の世界選手権1万メートル4位の弘山晴美さん(資生堂)らがいます。私は自分のペースで完走を目指すつもりでしたが、号砲が鳴ると、つい気持ちが先走ってオーバーペースに。これでは後半まで持たないと、抑え気味に走っていたら、16キロ付近で驚きの光景を目にしました。

 お世話になったダイハツの鈴木従道(つぐみち)監督が走れなくなった選手を抱きかかえています。何と私の先輩だった浅利純子さんでした。レース前に会ってあいさつした際、異様なやつれ方が気になっていたのですが…。浅利さんはこれが最後のマラソンになりました。

 大阪に冷たい雨が降り続けます。30キロを過ぎると、猛烈におなかがすきだし、私はもう限界でした。すると沿道から次々と声が掛かります。「小鴨さん、こんな後ろで走ったらあかん」。にこっとして手を上げると、「にこにこしとる場合かい」。ついにエネルギー切れで歩き始めると、沿道から「これ食べて元気出して」とおまんじゅうの差し入れが。厳密には警告に当たる行為のようですが、もう時効ですよね。食べると、体に力が戻りました。

 「戻ってきてくれてありがとう」。大阪のファンの温かい声援に後押しされ、私は完走できました。ゴール地点でタオルを掛けてくれた役員が8年前と同じ女性で、「よく頑張ったね」とねぎらってくれました。

 記録は3時間24分26秒で371選手中257位。それでも私はすっきり爽快な気分です。競技人生はこれで一区切り。次の目標? それは次回のお楽しみです。

=2018/05/26付 西日本新聞朝刊=

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