<68>最愛の「パパ」と別れ

次男壮司君の運動会に駆け付けた松永光司さん(左)。子煩悩なパパだったという
次男壮司君の運動会に駆け付けた松永光司さん(左)。子煩悩なパパだったという
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●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 2014年2月21日夜、私と長男の悦司(えつじ)、次男の壮司(たけし)は、久留米大病院の集中治療室(ICU)で、元夫の松永光司(こうじ)さんと面会を果たしました。24時間の大手術を終えた光司さんは医療機器につながれ、目は開いたまま。私はその姿を見た瞬間、「あ、もう無理だな」と覚悟しました。

 医師が「言葉は聞こえるはずなので、話し掛けてください」と促しますが、小6の悦司はわんわん泣くばかり。まだ小2の壮司は状況がのみこめず、体を硬くして下を向いたままです。私は光司さんに「子どもたちも私も家で待ってるからね」と呼び掛けました。あまりに痛々しい姿に「頑張って絶対に良くなって」とは、言えませんでした。

 病院に子ども2人と泊まり込もうかと思いましたが、2人は大きなショックを受けたようで「家に帰りたい」と言います。福岡市の自宅へ戻る車中で、私は2人に「これがパパとの最後になるかもしれんよ」と言い聞かせました。

 その2日後の23日朝、光司さんは息を引き取りました。享年43。あまりに早すぎる死でした。183センチの長身で、優しい人。おいしいパンを焼く職人で、ガンダムのマニア。私のおしゃべりをよく聞いてくれて、ちょっと内気で、誰よりも子煩悩でした。

 翌日、長崎市の葬祭場で葬儀がありました。ひつぎの中に花を入れ、光司さんと最後のお別れです。悦司は泣かずにずっと光司さんの手や指を触り、その大きさを確かめていました。壮司は大泣きしながら「パパー、パパー」とひつぎにすがりつき、離れようとしません。私が無理やり引き離しましたが、まだ12歳と8歳で父親を失う2人の身の上を思うと、やるせなさでいっぱいでした。

 火葬を終え、光司さんはきれいな骨になりました。「子どもには見せない方がいいのでは…」と心配される年配の親族の方もいらっしゃいましたが、2人はしっかりした態度でお骨を拾ってくれました。その姿を見た私は「これで2人は父親の死を受け入れた」と実感したのです。私は心の中で、光司さんにこう呼び掛けました。

 「今まで本当にありがとう。あなたが楽しみにしていた子ども2人の成長は、私がしっかり見届けます」

 離婚したとはいえ、かけがえのないパートナーを、私は42歳で失いました。女1人でどうやって男の子2人を養っていくか。親としての正念場を迎えました。

=2018/06/22付 西日本新聞朝刊=

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