視覚障害マラソン 道下美里さん 夢へ 伴走者と心一つ

輪になったロープを手に走る道下美里さん(左)と堀内規生さん=福岡市の大濠公園
輪になったロープを手に走る道下美里さん(左)と堀内規生さん=福岡市の大濠公園
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 視覚障害女子マラソンの選手として世界で活躍する道下美里さん(38)=福岡県太宰府市。このほど出版した初の著書「いっしょに走ろう」(芸術新聞社、1620円)には、困難を共に乗り越えた仲間への感謝があふれている。視覚障害者のマラソンでは、練習や試合で伴走を務める人の存在が欠かせない。福岡市・大濠公園の練習におじゃまし、伴走を務める2人にも話を聞いた。 

 道下さんは週6日、午前を中心に2時間以上練習する。「距離を決めて走ったり、1キロを4分15秒と決めて走ったりします」。輪にしたロープを、伴走者と握り合って走る。身長144センチと小柄な道下さんの腕の位置に合わせ、伴走者も腕を振る。

 昨年12月、2時間59分21秒で日本記録を更新した。来年のリオデジャネイロ・パラリンピックの視覚障害女子マラソンでは、日本代表推薦順位1位が内定している。

 道下さんは中学2年で右目を失明した。短大を卒業して調理師としてレストランで働いていたころ、今度は左目の視力も失われていった。角膜の下にタンパク質が沈着して視力が低下する病気だった。

 25歳で視力が0・01以下になり、山口県立盲学校(現県立下関南総合支援学校、同県下関市)に入学した。諦めてばかりの自分と比べ、学校の友達は「私が目が見えないとできないと思っていたことをできていた」。自分が甘えていただけだと気付いた。

 学校の課外活動として陸上競技を始めると、頭角を現す。2007年には中距離走で世界選手権に出場。しかし、800メートル走では予選落ちし、1500メートル走では5位。優勝という目標の遠さに走る気力を失った。

 スランプに陥り練習から離れていたころ、地元で下関海響マラソンが初開催されると知った。当時の監督から「長距離の方が向いているのでは」と言われたこともあり、マラソンへの挑戦を決めた。

 マラソンでは競技場より危険な一般道を走る。距離も圧倒的に長い。心境は変わっていく。「人を信じないと走れない状況に直面してやっと、障害を受け入れることができた」。それまでは「危ないから白杖を使ったら」「伴走しようか」など思いやりの言葉に、素直になれない自分がいた。一人ではできないことを認めるのが悔しかったのだ。

 伴走者を心から信じると、仲間が増え、「走る」という自分の役割もはっきり見えてきた。

 サインには「絆を信じて」という言葉を添える。「ランナーと伴走者をつなぐロープを絆とも呼ぶ。そのロープを信じ、人を信じ、走り続けたい」

 ●道路状態やタイム伝達 試合や練習支える2人

 視覚障害者のマラソンでは、伴走者は道路の状態やタイムを選手に伝えたり、給水所で水を渡したりする。

 マラソンが趣味の会社員、堀内規生(のりたか)さん(34)は週末、道下さんと一緒に練習する。道下さんとの共通の知人から「伴走者を探している」と打診され、1年半ほど前から試合でも伴走している。「支援という思いではなく、好きだからやっている。他の伴走者もそうじゃないかな」

 公務員の縣(あがた)博夫さん(49)は、火曜日の練習で伴走を務めるほか、道下さんが講演するときに必要な資料作りを手伝うこともある。「みっちゃんがいるから僕らも伴走者という役割を見つけられた」。11月の福岡マラソンでは、視覚と聴覚に障害がある選手と走る予定という。「給水やトイレのタイミングなど、どうやってコミュニケーションを取ろうか。楽しみです」と笑顔を見せる。

 視覚障害マラソン競技では、伴走者は2人まで。選手より走力がないと務まらず、練習時も含め、伴走者を探すのは難しい。日本盲人マラソン協会(東京)は伴走者の養成研修会を東京で年に1回、各地で年に2~3回開いている。だが「視覚障害者ランナーが走りたいときにいつでも伴走者を見つけられる環境は整っていない」という。

 道下さんは所属する大濠公園ブラインドランナーズクラブ(福岡市)の仲間を中心に、現在10人近くが伴走者として走ってくれる。「試合になると、伴走者も1週間ほど仕事を休まなくてはならない。ありがたいです」と語った。


=2015/07/16付 西日本新聞朝刊=

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