【人の縁の物語】<16>「安保バー」時代見つめ 福岡市「ひろ」 43年、「闘士」今も

スナック「ひろ」の田和玲子さん。「秘密は一つぐらいあっていいのよ」と年齢は絶対に明かさない
スナック「ひろ」の田和玲子さん。「秘密は一つぐらいあっていいのよ」と年齢は絶対に明かさない
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 「安保バー」と異名を取った酒場がある。かつて九州大学のキャンパスがあった福岡市中央区六本松の「ひろ」。ママの田和玲子さんが、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで酔客の悩みや疲れを吹き飛ばす。開店したのは43年前、安保闘争真っ盛りのころだった。たむろした往年の「闘士」たちが、今も全国から足を運ぶ。

 照明のせいなのか。ウイスキーのようなセピア色に包まれた錯覚を覚える店内。カウンターに10席だけ。レジスタンスの隠れ家のような趣だ。

 「つまみ、いらないわよね」。商売気が皆無と思われるママが、ハスキーボ
イスで出迎える。腕を組んで紫煙をくゆらす姿がよく似合う。チャージ300円は開店以来、変わらない。肩を寄せ合う席で、その日会ったばかりの客が杯を重ねる。

 東京生まれの東京育ち。武家の流れをくむ家柄といい、教師の父は厳格で、母は日本舞踊や茶道をたしなんでいた。「親への反抗心かな。物心ついたら『和の世界』に反発していた」

 終戦後、東京・王子の米軍関連施設に職を求めた。英語はまったく話せなかったが「絶対話せるようになる」と押し切った。1年半でペラペラになり、そこで知り合った「七つか八つ年下の会社員」と結婚。転勤先の福岡にやってきた。

 家事は嫌い。家に閉じこもるのが耐えられなかった。英語を生かせる仕事を探したものの見つからなかった。長女が3歳になったばかりの1970年1月、九大六本松キャンパスの近くに、わずか10平方メートルの店舗を借りてスナックを開いた。

 時は安保闘争まっただ中。読書家で芸術好きのママの店には、セクトの学生がたむろした。酒と女と革命と。狭い店内はいつも前衛的な議論で満ちた。「共産党宣言」を勧められ、学生のにわか講釈で夜を明かした。

 「みんな荒々しく、目をぎらつかせてね。それでいて繊細だったのよ」。学生たちがデモや集会に出向く際は大釜で飯を炊き、たくさんのおにぎりを持たせた。

 時は流れて今、開店当初の常連客がひょっこり顔を出すことがある。「まだ、生きていたんですね」。白い髪が交じるかつての闘士が涙ながらに往時を懐かしむ。人から人へ。口コミでつながる客足が絶えることはなく、俳優の風間杜夫さんら多数の有名人が福岡に来た際に足を運ぶ。

 「お金なんてどうでもよかった。毎日何が起きるだろうって。会話が楽しくて楽しくて。気が付いたら43年になっちゃった」。3年前、市内のホテルで40周年記念パーティーを開くと全国から150人が駆けつけた。

 江戸弁の毒舌は健在。「安保のころの若者は身なりは汚くても目は輝いてた。今の子はおしゃれだけど、おとなしいね」。だからこそ最近の改憲の動きが気になる。「年寄りじゃなく、若者がこれからの日本を背負うんだから。かんかんがくがくの議論をしてほしい」

 妖然と椅子に腰掛け、カウンター越しに時代を見つめてきた。年齢だけは、絶対に明かさない。「誰だって一つぐらい秘密があっていいのよ」。ニヤリと笑ってたばこに火を付けた。

=2013/04/30付 西日本新聞朝刊=

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