「なんで林業?」ゆとり世代、24歳が選んだ道 きっかけは所持金6万円の旅 

24歳の太刀山亮さんは、ヘルメットを脱げば、作業服も今風のミリタリージャケットに見えてしまう
24歳の太刀山亮さんは、ヘルメットを脱げば、作業服も今風のミリタリージャケットに見えてしまう
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【人生まるよ】<3>

 小型バイクのようなエンジンのうなりがやんだ。天に向かって真っすぐ伸びた20メートルほどのヒノキが傾くと、あっという間にドッと倒れて山肌に転がる。「樹齢40年ぐらいかな」。チェーンソーを手に、切断面に目をやる姿は結構さまになっている。太刀山亮さん(24)=福岡県糸島市=が、林業を営む親方の元で修業しだして7カ月がたった。

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 福岡市郊外でのこの日の仕事は「間伐」。森で余分な木を選び、切り倒して間引く。すると光が適度に差し込み、木々が健全に成長する。土砂災害防止にもつながる。

 「給料分働こうとすると、自分には時間が足りないから」。仕事中は常に小走りで、もう地下足袋4足をだめにした。日給9千円。それでも、日が昇る頃に働き始め、沈む前には家に戻る暮らしが気に入っている。

    *   *

 「なんで林業?」。答えはシンプルだ。「第1次産業を若者が就きたくなる魅力的な仕事にしたいから」。こんな考えを持つきっかけは大学時代の旅にあった。

 19歳で関西の有名私大に入ったものの、通う意味を見つけられずに足が遠のいた。朝から純喫茶でコーヒー→映画館で格安の旧作鑑賞→本屋さん巡り、というのが「標準的な一日」。仕送りが底をつくと、宅配便の配達員のバイトをしてしのいだ。高校時代からの付き合いの彼女はやがて去っていった。

 「ダメ人間」一直線だった3年生、2016年の冬。歴史物の本を読んで漠然と思い描いていた計画を実行に移した。京都から東京の「東海道五十三次」を歩く。所持金6万円で江戸時代の宿場町跡をたどった。夜は専らインターネットカフェで体を休める。雪がちらつく2月、時折顔を見せる太陽の暖かさを初めて肌で知った。18日目にゴールの東京・日本橋を素通りし、東日本大震災の後、ボランティアで訪れた被災地を目指した。

 31日目、宮城県気仙沼市でついに所持金が底をついた。餌に使うオキアミ漁の船に乗り働くことにした。

 「何してる」「邪魔なんだよ」。船中、どこにいても怒鳴られた。漁師たちの威圧感、迫力にびびりながらも、しびれた。こんな真剣な目をした大人に会ったことない、と。

 自然が相手だからこそ気が抜けない本気の仕事-。古里、糸島に引き付けて考えたとき「山がある」と思った。しっかり1年考えて、大学にさよならした。

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 1993年に生まれた「バリバリのゆとり世代」で、リーマン・ショックは中学生の時だった。決して明るいとは言えない社会情勢なのに、大人たちからは「夢を持て。君たちには無限の可能性がある」と言われ続けてきた。どこに? ずっとそう思ってた。

 「林業、やっべーね」。友人たちは言う。この世代の用法で「すごい」の意味。でもそこには別のニュアンスもある。輸入材の影響で国産材価格が低迷する林業は、従事者数も減り続けている。「安定」を求める同世代の友人からすれば「よくやるね」なのに違いない。

 思い出す言葉がある。あの冬の旅の道すがら、交差点での信号待ちでミカンとパンをむしゃむしゃ食べていたら「ダンディーなおじいちゃん」に声を掛けられた。自宅に1泊させてくれ、煮込みうどんをごちそうになった。旅人慣れしているのか、深入りはしない。そんな人がこう口にした。「人間いつでもゼロになれるのが大事」

 がむしゃらな日々を積み重ねたその先にだけ、無限の可能性が広がるのかも。最近、そう思うようになった。木の断面を先輩のようにスパッと美しく切ってみせたい。ゆくゆくは「木を生かすために切る」仕事があることを子どもたちに伝えたいと思う。でも今はきっとまだゼロ。それでいい。


=2018/01/09付 西日本新聞朝刊=

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