古民家再生「町並みの価値」見直そう 津屋崎から 未来への手紙(2)

旧河野邸はさまざまな「学びの場」として活用されている
旧河野邸はさまざまな「学びの場」として活用されている
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花祭窯の工房兼ギャラリーとなった旧井ノ口邸
花祭窯の工房兼ギャラリーとなった旧井ノ口邸
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河野邸の修復には、たくさんのボランティアが関わった
河野邸の修復には、たくさんのボランティアが関わった
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山口 覚(やまぐち・さとる)<br />
山口 覚(やまぐち・さとる)
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 津屋崎(福岡県福津市)に移住しようと決心した理由はいくつかあるが、一つは「津屋崎千軒」と呼ばれる美しい町並みの魅力だった。

 かつては、日本海沿岸や瀬戸内を中心とした都市を結ぶ商業港として栄えた町。りんとしたたたずまいを今でも随所に感じることができる。

 過去のにぎわいを知る人の目には、町並みはすっかり変わり、寂れてしまったように映るかもしれない。でも都会育ちの僕にとって、この町並みは新鮮で、どことなく懐かしく、安心感があった。

 一方で、町並みをよく見ると空き家が少なくないし、既に取り壊されて空き地になっている所も多かった。建築士でもある僕は、その状況を黙って放っておくことができなかった。

 津屋崎に移り住んでから、古民家を何とかしようと奔走し、まずは2軒の再生に携わった。井ノ口邸と河野邸だ。

 井ノ口邸の家主は千葉県にお住まいだった。もう津屋崎に戻ることはないが、家には代々継がれた思いがある。手放すわけにはいかないが、貸すならば、と協力していただいた。

 家屋は傷んでおり、少なくとも数百万の改築費が掛かることが分かった。頭を下げてお借りする以上、高額な負担をお願いするわけにはいかない。そこで、入居者から先に数年分の家賃相当のお金を頂き、そのお金で改築することを思いついた。

 井ノ口邸は2012年、陶芸作家の藤吉憲典さん(51)の一家が移り住み、花祭窯と名付けた工房兼ギャラリーに生まれ変わった。

 河野邸は30年以上も空き家の状態だった。津屋崎千軒の中心に近く、いろんな人たちが集う場所にふさわしい。誰かに入居してもらうのではなく、自分でゲストハウスを営もうと考えた。

 雨漏りがしていたこの家も数百万の改築費が必要だったので、ゲストハウスの機能と併せ、物事の本質を学ぶ「学びや」にすることにして出資を募った。出資者は「旦那衆」と呼び、いつでも宿泊できる代わりに、自主講座の主宰を求めた。出資への対価は、そこで学び育つ人だ。

 この考えに賛同する旦那衆に出資をしてもらい、11年に「ゲストハウス旧河野邸」が誕生した。

 あれから6年。陶芸家の藤吉さんはすっかり地元に溶け込み、自治会活動や山笠にも加わっている。自宅で開く書き初め、和歌、茶道などのイベントには多様な人が集う。自身の作品には津屋崎の花鳥風月が四季折々に表現され、英国や台湾のギャラリーとの取引も始まった。

 ゲストハウス旧河野邸では地域づくり、食卓、映像作品などをテーマにした「意味の学校」が不定期に開催され、全国から職業も年齢もさまざまな人たちが学び合う場所として定着した。地元のお祭りの会場としての機能も担っている。

 この二つの家の再生をきっかけに、多くの空き家が暮らしの場としてよみがえった。古民家と移住希望者を結び付ける役割は、今では東京から移り住んで「暮らしの問屋」を営む古橋範朗さん(36)が引き継いでいる。

    ‡   ‡

 残念ながら、日本のあちこちで美しい町並みが失われつつある。経済合理性の行き着く先であり、古いものより、新しいものを重宝する価値観の表れでもあるだろう。

 しかし、日本にたくさんの外国人が観光に来るようになった今、日本ならではの財産に世界で通用する価値があると気付く人が、増えつつあるように思う。

 一方で、人口減少を背景に空き家はこれからさらに増えていくことが予想される。古き良き町並みを後世に残すには何が必要だろうか。

 町並みの表層的な「形」だけを残すのでは物足りない。町に残る自然や歴史との関わり、暮らしの知恵や風習、人と人のつながり-。こうした財産を住民が大切にし、同時に新しいチャレンジを歓迎する寛容性があれば、人々を引き付ける魅力的な場所であり続けるだろう。

(津屋崎ブランチ代表 山口覚氏)

=2018/05/12付 西日本新聞朝刊=

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