便利さや安定した給与よりも 大切なものは暮らしの中に 津屋崎から 未来への手紙(1)

津屋崎ブランチの前でスタッフ全員集合。みんな家族が増えた。中央が筆者の山口覚さん=4月1日、福岡県福津市
津屋崎ブランチの前でスタッフ全員集合。みんな家族が増えた。中央が筆者の山口覚さん=4月1日、福岡県福津市
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津屋崎ブランチが活動を始めた当初のスタッフ=2010年12月
津屋崎ブランチが活動を始めた当初のスタッフ=2010年12月
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山口 覚(やまぐち・さとる)<br />
山口 覚(やまぐち・さとる)
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 福岡県福津市津屋崎に春を告げるイベント「よっちゃん祭」が4月に開かれた。津屋崎を盛り上げようと、住民の発案で始まって21回目。僕たち住民は慌ただしく祭りの準備をしながら、春の到来を実感する。

 このまちで暮らして9年近くになる。振り返ると、さまざまな出来事があった。初めに、どうして津屋崎に移り住んだかを話しておきたい。

 大学で建築や都市計画を学んだ僕は、東京にある大手ゼネコンに就職した。やりがいのある仕事に安定した給与。仲間にも恵まれ、何の不満もない毎日だったが、自治体の住宅政策に関わる財団に出向した6年目に人生の転機が訪れた。

 出向中、全国の多様な地域づくりに触れ、東京にいるときに感じることのなかった人と人、人と地域の関わりを感じ、切ない気持ちになった。便利さや安定した給与より、人生にはもっと大切なものがあるのではないか。自分なりにそう考えるようになった。

 やがて、20世紀型の経済論理の中で見落としていた暮らし、働き方、人とのつながりを大切にする地域づくりを実践しようと決心した。

 東京に本部を置くNPOに転職し、地域づくりの修業を積んだ。いろんなご縁が重なって「津屋崎千軒」と呼ばれる海際の小さな集落で新たな生活を始めたのは2009年9月、40歳の時だった。

 津屋崎で始めたことはいくつもあるが、大きく言うと次の4点だ。まずは移住支援の暮らしの体験ツアー。東京や大都市で暮らしながら「別の生き方があるのではないか」とモヤモヤしている人に、津屋崎での暮らしを体験する機会をつくった。1回目ですぐに2組の家族が移住した。

 次は古民家再生。古き良きまち並みが残る津屋崎千軒だが、古い家が1軒、また1軒と取り壊され、空き地になるのが耐え難く、移住希望者と空き家をつなぐ事業を始めた。

 三つ目はプチ起業支援。一つの仕事だけで生きていくのではなく、月に3万円、5万円、10万円の稼ぎを三つ、四つ組み合わせた「複業」で、地方ならではのなりわいをつくることを目指している。

 そして、対話の場づくり。年齢や性別、肩書を超え、本音を語り合う場を中学校や地域の中につくった。地域づくりの基本は「話し合うこと」であり、「多くの人が納得すること」だと思うからだ。

 こうした活動を続けるうちに、津屋崎に福岡県内外からたくさんの人が訪れるようになった。津屋崎ブランチが関わっただけでも移住者は200人以上。Uターンした若者もいる。木工房や学童保育、カフェ、レンタルスペースなど、空き家だった場所に暮らしの営みがよみがえり、思いがけない取り組みが次々に生まれている。

 本来の地方創生は、東京や大都市の価値観に右へならえすることではないと思う。大切なのは、地方が独自の指標を持ち、自らが考え、行動する循環をつくることではないだろうか。

 人工知能やネットの発達により、これから想像のできない世の中がやってくるとメディアは伝える。でも、暮らしの中には100年たっても変わらないものがある。小さいからこそ、人が少ないからこそ、先人から受け継いだ自然や歴史、文化があるからこそできる地域づくりが、きっとあるはずだ。

 開催が近づくよっちゃん祭は、地元の重鎮、移住した若者、主婦、さまざまな人が実行委員になっている。古き良きものと新しい感性が合わさって、今年も津屋崎のまち歩きを楽しむ人たちでにぎわうだろう。

 どの地方にも「目を凝らすと見える大切なもの」がある。僕なりに感じたことを津屋崎から発信したい。

(津屋崎ブランチ代表 山口覚氏)

   ◇   ◇

移住支援や古民家再生「津屋崎ブランチ」公募スタッフが定住

 津屋崎ブランチは2009年9月、福岡県福津市から「津屋崎千軒を核とした移住定住ビジネス化業務」を受託したことをきっかけに本格的な活動を始めた。「本当の暮らし、働き方、つながりを取り戻し、未来に継ぐ」をコンセプトに、移住体験ツアーや古民家再生、起業支援、対話の場づくりなどに取り組んできた。

 発足時、山口さん以外のスタッフ3人は公募で集まった。活動を始めて10年目の今、3人とも津屋崎で家庭を持ち、自身で創出した仕事をしている。

 埼玉県出身の木村航さん(36)は15年に結婚し、1児の父。古民家を拠点に「放課後クラブ三粒の種」を運営する。京都府出身の都郷なびさん(35)は13年に結婚して2児の母。子育てのペースに合わせて、聞き書き本を作る「紡ぎや」の仕事を続けている。福津市出身の坂田聖子さん(39)も2児の母で、津屋崎ブランチで経理担当を務める。

=2018/04/07付 西日本新聞朝刊=

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