産まない産めない―優生保護法と戦後(上) 母体を守り「劣悪者」を否定

福田昌子氏
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谷口弥三郎氏
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「優生保護法が悪法だったと認識したのは後になってからです」。福田昌子氏の義妹、光子さんは話す
「優生保護法が悪法だったと認識したのは後になってからです」。福田昌子氏の義妹、光子さんは話す
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 障害者に不妊手術を強制したとして、優生保護法の違憲性を問う裁判が全国で相次いでいる。〈優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする〉。この一文に始まる同法は、敗戦の3年後に成立した初の“出産管理法”。女性自ら心身を守る「産まない」と、障害者を否定する「産めない」が共存する特異な法で、半世紀も続いた。民主主義下の戦後社会で、なぜ改められなかったのか。生みの親といわれる九州の2人の人物から、話を始めたい。

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 1948年6月の衆院厚生委員会。ショートカットに丸縁眼鏡、35歳の福田昌子(社会党、福岡1区)は同法の提案理由を述べた。

 「母性の健康までも度外(視)して出生増加に専念しておりました態度を改め、母性保護の立場からもある程度の人工妊娠中絶を認め、もって人口の自然増加を抑制する必要がある」

 食料も住まいも不足する中、戦地からの復員で出産ラッシュ。人口抑制策が急がれていた。

 人々の暮らしは悲惨だった。堕胎罪を逃れようと、危険な「ヤミ中絶」を選び、命を落とす女性が少なくなかった。福岡県吉富町出身で東京女子医専(現東京女子医大)を卒業し、九州帝国大(現九州大)を経て福岡や大阪の病院で産婦人科医をしていた福田が、「中絶合法化」による母体保護を訴えるのは自然の流れだった。

 一方、参院で説明に立ったのは熊本選挙区から出た民主党(現自民党)の谷口弥三郎=当時(64)。熊本医専(現熊本大医学部)の産婦人科教授で、後に日本医師会長、久留米大学長も務めることになる医学界の重鎮は、力説した。

 「先天性の遺伝病者の出生を抑制することが、国民の急速なる増加を防ぐ上からも、また民族の逆淘汰(とうた)を防止する点からいっても、極めて必要」

 福田や谷口ら医師8人を含む超党派の議員10人で提出した同法は、全会一致で可決、成立した。

 母体保護と優生政策。「産まない」と「産めない」。2人の思いが、一つの法律に結晶した。

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 人口抑制が目的ならば、中絶の合法化だけで事足りる。そこになぜ、優生政策が入り込んだのか。

 鍵は谷口の言う「逆淘汰説」にある。谷口は48年、国会で発言している。

 「比較的優秀な階級の人々が普通、産児制限を行い、無自覚者や低脳者などはこれを行わないために、国民素質の低下すなわち民族の逆淘汰が現れてくる」。国が中絶を合法化し避妊を勧めると、教養があり生活にゆとりがある「優秀者」は行うが、障害者や困窮者など「劣悪者」は行わない。その結果、後者の人口が増え、国力が落ちる-との考え方だ。

 19世紀後半、英国の遺伝学者が提唱したこの説は、日本でも科学者を中心に急速に広まった。ただ、天皇を神格化した戦前戦中は「産めよ殖(ふ)やせよ」の政策もあり、「神の子」を絶つ政策には慎重論もあった。現に40年にできた国民優生法下では、強制不妊手術は一件も報告されていない。

 抑えられていた優生思想は皮肉にも、天皇の人間宣言で国民が「人の子」となった敗戦、つまり民主主義のスタートを機に、一気に噴き出した。

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 「信念の強い立派な姉でした」。福田の弟の妻、光子(90)=福岡市=は振り返る。晩年の福田と一緒に暮らし、75年にみとった。

 東京の国会図書館に勤めていた光子は、子どもの面倒をよく見てくれた優しい姉としての一面だけでなく、図書館で熱心に調べ物をする議員としての姿を覚えている。児童福祉法、売春防止法、生活保護法…。福祉国家の骨格づくりに関わり、58年に議員を辞めた後も自ら福岡市に設立した女子校(現純真短大など)を運営するなど、女性の権利や地位向上をけん引した。

 しかしそんな福田も、優生思想からは逃れられなかった。優生保護法の成立前年の47年、福田は女性運動の先駆者である加藤シヅエらと社会党案を提出した。審議未了で廃案になったが、その法案にも「不良な子孫の出生」を防ぐ狙いが明記されていた。優生思想は当時の日本人に広く深く、浸透していた。

 「今だから悪い法律だと分かる。でも誰もが生き延びるだけで精いっぱいのあの時期、姉はよかれと信じて法をつくったのだと思う」。姉も自分も、障害者差別だとは気付かなかった。「そういう時代だった」と光子は自戒を込める。

 =文中敬称略

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 【ワードBOX】優生保護法

 1948年施行。精神障害者や知的障害者、遺伝性疾患患者、出産が体や生活に影響する女性に、任意での不妊手術や人工妊娠中絶を認めた。また精神障害者や知的障害者らについては、本人の同意がなくても、医師の判断で各都道府県の優生保護審査会に申請し、審査を経ての強制不妊手術を認めた。手術は法に基づく指定医が行った。ナチス・ドイツの「断種法」の考えを受け継いだ40年施行の国民優生法が前身。

 不妊手術を受けた障害者らは約2万5000人で、うち本人同意のない手術は1万6475件。最年少は女児が9歳、男児が10歳。強制手術のピークは55年で、1年間で1362件に上った。96年に母体保護法に改正され、障害者に関する差別規定は削除された。今年1月以降、障害などを理由に不妊手術を強制された男女7人が、国家賠償請求訴訟を各地の地裁に相次いで起こしている。

=2018/09/04付 西日本新聞朝刊=

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