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若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」/石井遊佳「百年泥」/温又柔「空港時光」

 「新潮」「すばる」「文芸」の3誌で新人賞が発表されている。その中で明らかに際立っているのは文芸賞を受賞した若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」(「文芸」冬号)である。作者は現在63歳、小説を書いてみるようになって十数年、8年前に夫に先立たれ哀(かな)しみに沈んでいたとき、息子に薦められて小説講座に通うようになったことが今回の作品に繋(つな)がったという。

 主人公は75歳の桃子さん。息子も娘もとっくに家を出ている。15年前にあっけなく夫を亡くし、つい最近、16年飼っていた犬が死んで、ついに完全におひとりさまになった。そんな桃子さんの脳内で、最近、たくさんの自分の、そして自分以外のたくさんの声が聞こえるようになった。それらは桃子さんの出身地である東北弁丸出しで、あれこれと勝手なことを喋(しゃべ)る。桃子さんの内心の声といえばそれはそうなのだが、それにしては賑(にぎ)やか過ぎるし、脈絡もとりとめも欠いている。しかし桃子さんは、むしろ面白がって、それらを自分の心の中の「無数の柔毛突起」と呼んで、日々一緒に(?)過ごしている。

 こう書くと、いわゆる認知症の初期症状を想起するだろうし、桃子さん自身もそう疑っていたりするのだが、しかしこの作品の読み味は、この設定から想像するような、言ってしまえば凡庸な、それだからこそ切実でもあるだろう「老境小説」「老人小説」とは相当に異なっている。

 実に巧みなのは、桃子さんの内なる「柔毛突起」たちの饒舌(じょうぜつ)な声が、地の文にも浸出していることで、この小説は三人称なのだが、「桃子さん」たち、それ以外の者たちが入れ代わり立ち代わり喋ることによって、結果として驚くほどに豊かで自由闊達(かったつ)な、だが一本筋の通った語り口を獲得している。時間と空間を自在に移動する声によって混乱していくのではなく、時々、妙に知性的で客観的な声が出てきて、冷静にツッコミを入れたりするのも可笑(おか)しい。これは表面的な佇(たたず)まいよりもはるかに野心的で手の込んだ、かなりよく考え抜かれた作品である。作者自身の実人生が下敷きになっていることは歴然としているが、そこに安住していない。才能ある新人作家の誕生を祝福したいと思う。

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 もう1編、新人賞受賞作に触れておこう。新潮新人賞の2作の片方、石井遊佳(ゆうか)の「百年泥」(「新潮」11月号)である。成り行きでインドのチェンナイで日本語教師をすることになった女性のひとり語りで、これまた作者自身もチェンナイで日本語教師をしている女性なのだが、若竹作がそうであるようにこれもまったく「私小説」ではない。もちろんかなり特殊と言ってよい設定の土台は作者自身の経験に基づいているのだろうが、何しろこの小説においては、インドの会社重役はラッシュを避けるために翼を装着して飛翔(ひしょう)で通勤するし、100年に一度の大洪水で氾濫したアダイヤール川の底からは死者たちやそこに沈んでいる筈(はず)のない語り手の想(おも)い出の品などが浮かび上がってくるのだ。

 マジック・リアリズム仕立てと言っていいだろうが(作者はガルシア・マルケスが好きだという)、しかしむしろこうした突飛(とっぴ)な要素によって、世界に冠たるIT立国である現代インドの意外な顔が、リアリズムなのかマジックなのかわからなくなってくるところが面白い。インドネタ以外に何が書けるのかは未知数だが、文章は達者だし、独特の醒(さ)めたユーモア感覚も心地良い。2作目にも期待したい。

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 温又柔(おんゆうじゅう)が大人気である。「すばる」11月号採録のシンポジウム「複数の言語、複数の文学」への参加、「文学界」11月号でリービ英雄と対談、「文芸」冬号に連作短編集「空港時光」が一挙掲載と、3誌に登場している。「空港時光」は題名の通り、羽田と台北という2つの空港を舞台とする、それぞれ独立したごく短い10個のエピソードから成る作品だが、芥川賞候補に挙げられた「真ん中の子どもたち」と較(くら)べても、大きく前進している。

 台湾で生まれ日本で育った台湾籍の日本語作家である温の作品は、小説とエッセイを問わずまずは自らの境遇に向かい合うことから始まっているが、さまざまな年齢の台湾人(と日本人)の人生の一断面というべきささやかな物語をスナップショット的に描いていくうちに、個を越えた大きなものがゆっくりと立ち現れ、と同時に小さな個も輝きを発する。温自身の個としてのあり方も相対化され、そしてそれは今後の作品で再び個へと引き戻されもするのだろう。

 台湾と日本の関係だけではなく、台湾と中国の関係も当然含まれた、言語の問題、歴史の問題、政治の問題、経済の問題、家族の問題、夫婦の問題、親子の問題、等々が、シンプルだが奥行きのある幾つもの問いかけによって考察されている。これはかなりの力作である。「私」の物語からの鮮やかな離陸ぶりは、化けたと言っても過言ではない。

(佐々木敦 ささき・あつし=批評家)


=2017/10/26付 西日本新聞朝刊=

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