宙をさまよう自尊心 不作為 ともに生きる(3)

 いじめは突然始まった。

 まずは無視、すぐに暴力にエスカレート。教室で土下座を強要されたときも、誰も止めなかった。1年半前のことだ。九州北部の高校1年、彰さん(15)=仮名=は半年間、学校に通えなかった。心当たりはある、と言う。「僕がフィリピン人のハーフだから…」

 日本に生まれ育ち、日本語に不自由はない。それでも「ハーフ」の子どもたちはいじめに遭う。違いを気にし、ある子は真夏も長袖のジャージーで浅黒い肌を隠し、ある子は縮れた髪の毛を無理やり結う。

 自分を否定されることは、親の否定につながる。

 高校2年の尾崎杏菜さん(16)=佐賀県鳥栖市=にもその経験がある。小学6年のころ。フィリピン人の母親に学校に来てほしくなくて、行事の案内を渡さなかった。どこで知ったのか、餅つき大会に顔を出した母親に「何で来たと! 恥ずかしい!」と怒鳴った。

 当時を振り返りおえつを漏らす。「帰っていくお母さんの後ろ姿が、後ろ姿が…。何も恥ずかしくないのに。ごめんなさい…」

   ◇   ◇

 心に受けた痛みは、はけ口を求めて時に暴走する。

 福岡県の洋介さん(22)=仮名=は中学生の時、非行に走った。同級生は口を利いてくれず、「外国の菌がうつる」と陰で言われた。酒とたばこを覚え、警察に何度も補導された。夜の街で声を掛けられ、暴力団事務所に出入りした。

 礼拝に通っていた教会の牧師に諭され、思いとどまることができたが、周囲には犯罪に手を染めるハーフの子もいた。「外人の血が入っていることを明かすのが怖かった。僕たちは自分を否定することに慣れてしまっているんです」

 学校で、地域で、自尊心を傷つけられる子ども。その姿は私たちが都合よく外国人を受け入れるだけで、子どもたちの困難を直視してこなかった「不作為」を浮かび上がらせる。

   ◇   ◇

 1980年代のフィリピン人、イラン人などの大量流入に続き、90年には日系2、3世の受け入れが緩和された。日系ブラジル人が大挙して押し寄せ、バブル期の人手不足を支えた。

 だが2008年のリーマン・ショック。雇用は突然「蒸発」し、しわ寄せは子どもに及んだ。

 自動車関連産業が集積する浜松市。1991年に来日した日系ブラジル人2世の児玉哲義さん(51)は夜の繁華街で、居場所を求めてさまよう子どもに手を差し伸べてきた。「親が失業して帰国しても『ポルトガル語ができない』と、高校生の兄と2人で日本に残った中学生もいた」

 憲法上の教育の義務を外国人は負わない。失業や離婚で家庭が崩壊、子どもを学校に通わせない親もいた。深刻な事態に市は2011年、在籍が確認できない96人の全家庭を訪問。13年に「不就学ゼロ」にこぎ着けたが、現在も2カ月おきに家庭訪問を続ける。

 日本は再び人手不足の時代を迎えた。2月、日系4世の受け入れ拡大を求める国会質問があった。安倍晋三首相は「前向きに検討したい」と述べた。

=2017/05/01付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞のイチオシ [PR]

西日本新聞のイチオシ [PR]