世代交代へ組織正念場

 たなか・てるみ 1932年、旧満州(中国東北部)生まれ。東京理科大理学部卒。東北大工学部助教授などを歴任。13歳の時、爆心地から3.2キロの長崎市中川町の自宅で被爆。85年から3年間被団協の事務局長を務め、2000年から2度目の事務局長。今年の核拡散防止条約再検討会議で被爆者代表として演説した。埼玉県新座市在住。
たなか・てるみ 1932年、旧満州(中国東北部)生まれ。東京理科大理学部卒。東北大工学部助教授などを歴任。13歳の時、爆心地から3.2キロの長崎市中川町の自宅で被爆。85年から3年間被団協の事務局長を務め、2000年から2度目の事務局長。今年の核拡散防止条約再検討会議で被爆者代表として演説した。埼玉県新座市在住。
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被団協 田中煕巳事務局長

 全国の被爆者組織で被爆者の高齢化、組織減が進んでいる。今年6月には和歌山県の組織が解散し、奈良県と滋賀県の組織も既になくなった。私も今年で83歳。被団協で2度目の事務局長に就いてから15年になる。若い世代に託そうと今年は辞任を申し出たが、後任が見つからずに続けることになった。

 被爆2世を会員に入れて高齢化に対応している組織もある。被爆者には医療費の自己負担がなく、健康管理手当などを受けている。その一方、被爆2世や3世への援護は現在の法制度にはない。被爆者と被爆2世との差を埋めないと、被爆者運動自体が終わってしまいかねない危機感がある。

 このため被団協に小委員会を設け、地方組織のあり方や財政問題について議論している。今年の役員改選で、事務局次長7人を全員70代以下に若返らせた。被爆2世に近い世代で解決策を模索していく。

 財政的にも何も策を取らなければあと2年しか持たない。財源は基本的に寄付頼りだが支援者も高齢化している。「もっといろんな人に募金を訴えるべきだ」との声もあり対応したい。

 被団協は1956年、長崎であった第2回原水爆禁止世界大会で結成され、原爆被害への国家補償要求と核兵器の廃絶を目的に運動を展開してきた。57年に最初の法律「原爆医療法」が制定されて以降、被爆者援護の拡充のために何度も法改正が行われてきた。

 目標の一つである、国家補償の精神に基づく援護法の制定要求について、これまで国は戦争ではたくさん人が死ぬから我慢しなさいという「受忍論」を盾に拒んできた。94年に制定された被爆者援護法でも国家補償は認められなかったが、「援護法」という名称に惑わされ、運動を達成したという誤解が一部に生じた。一般市民からも「ちゃんと補償されているのに、まだ何か欲しいのか」と言われることがあるが、私たちは国が戦争責任を反省し、被爆者や原爆死没者に国家補償をきちんと行うことを求めているのだ。その主張が最近、届きにくくなっている。原爆症認定をめぐる裁判も続いており、被爆者援護は実現してはいない。

 もう一つの目標である核兵器廃絶については、今年の核拡散防止条約再検討会議で合意できず、核保有国の力を思い知らされた。被爆者は70年間一貫して核兵器をなくせと言ってきたが、世界にはまだ約1万5700発もある。核保有国の政府を動かすような世論形成を急がなければならない。

 これまで核戦争が起きなかったのは、核兵器廃絶運動の成果ともいえるが、原爆被害を海外の人々に真剣に考えてもらうためには、日本の加害責任についても丁寧に話していく必要があるだろう。関東にいると、原爆が広島、長崎だけの問題と思われていることを残念に感じることがある。10月には東京の日比谷公会堂で集会を開くが、そうした機会を活用して、原爆や戦争の悲惨さを被爆地ではない地域の若者にも伝えていきたい。

=2015/08/05付 西日本新聞朝刊=

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