土下座写真、演出だった?

1945年8月16日付の朝刊に掲載された“やらせ”の可能性がある写真
1945年8月16日付の朝刊に掲載された“やらせ”の可能性がある写真
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 全801文字。1945年8月15日の朝刊1面に終戦を告げる天皇の詔書が載った。紙面は狩野貞直整理部次長が徹夜で組み上げた。戦後の社報には「早版1面の大刷でトップ横見出しに『帝国、ポツダム宣言を受諾』とあったのを直したのが今でも深い感慨」とある。

 紙面は表裏2ページだった。正午の玉音放送が終わるまで配達してはならないとされた。戦争継続派の決起など、不測の事態を招きかねないとの理由からだった。

 詔書の下段には14日の御前会議の様子が盛り込まれた。〈朕の一身は如何にあらうともこれ以上国民が戦火に斃(たお)れるのを見るのは忍びない〉。降伏を決めた天皇の言葉に、全閣僚が号泣した場面が描かれている。

 この記事が一切削られて空白になった別の8月15日付紙面が存在していることが新たに分かった=(5)。

 東洋文化新聞研究所の羽島知之代表(80)=東京都目黒区=が12、13年前、都内の古書店で見つけた。「特別付録」とあり、「記事が当局の指導に引っ掛かり、削って刷り直したのでは」と羽島さんは分析する。

 15日の国民の様子は翌日の朝刊に載った。〈永久忘れじ痛恨の歴史 熱涙に拝す大御心〉の見出しに、土下座をした人々の写真が添えられた。説明文には〈宮城(皇居)前に国体護持を祈る赤子 電送〉とある。

 実はこの写真、15日に撮影されていない“やらせ”の可能性が高いことが分かってきた。同じ写真が他の地方紙でも使われており、通信社が配信したようだ。17日付で掲載した東奥日報(青森県)の説明文には「十四日」とある。

 その14日に写真を撮られた人の証言もある。74年、週刊誌で終戦の新聞について評論した外交評論家の加瀬英明さん(78)に一通の手紙が届いた。差出人は花田省三氏。宮城前を通り掛かったところ、腕章をしたカメラマンに土下座をするよう頼まれたという内容だった。他にも20人くらいが協力していたという。

 加瀬さんは「戦時中の新聞記事は美文調で、事実より、こうあるべきだという文章や写真を載せていた。天皇陛下に国民がおわびをする絵を撮りたかったのではないか」と指摘する。

 紙面はどんな印象を持たれたのか。芥川賞作家の火野葦平は小説「革命前後」で、15日の新聞を読み〈悲痛な、あるいは激越な文字がならんでいた〉とつづっている。「隅から隅まで読みつくしたが、これから先どうなるのか、どうしたらよいのか、その見通しをつかむことができなかった」

 報国報道も“終戦”を迎えた。

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