<17>大水害が熊本の「源流」生む こむらさき(熊本市中央区)

「ニンニクチップは今は鍋でいっています。その時のにおいがすごいので、郊外に専用の場所を借りています」と山中禅さん
「ニンニクチップは今は鍋でいっています。その時のにおいがすごいので、郊外に専用の場所を借りています」と山中禅さん
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熊本市中央区上通町8の16。ラーメン570円。ラーメン定食760円。焼ギョーザ360円。昼は午前11時~午後4時、夜は午後6時~10時(金土は午前0時)。定休日は年末年始。096(325)8972。
熊本市中央区上通町8の16。ラーメン570円。ラーメン定食760円。焼ギョーザ360円。昼は午前11時~午後4時、夜は午後6時~10時(金土は午前0時)。定休日は年末年始。096(325)8972。
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 1953年、熊本県の白川流域で発生した「白川大水害」。死者・行方不明400人以上を出した未曽有の災害だが、実はラーメンの歴史にも少なからず影響を与えていた。「こむらさき」(熊本市中央区)など、熊本ラーメンの「源流」となる店が誕生するきっかけとなったのだ。

 熊本県で初めてのラーメン店は、52年に福岡県久留米市から進出した「三九」とされる。白濁豚骨発祥の店で、店主の四ケ所日出光さん(86)が熊本県玉名市に支店を出し、その味を伝えた。

 翌年白川大水害が起き、間もなくして店に3人の若者が訪れる。その1人が「こむらさき」を創業した山中安敏さん(故人)である。「『玉名にうまいラーメンがある』といううわさを聞きつけたようです」。安敏さんの長男で2代目の禅(しずか)さん(62)はそう語る。

 禅さんによると、同行したほかの2人は、宮崎出身の安敏さんの友人である木村一さん、台湾出身の重光孝治さん。3人は熊本市で不動産、中古車販売業などで生計を立てていたが水害で立ちゆかなくなった。新たな商売と見定めたのが、ラーメンだった。

   □   □

 水害から半世紀以上を経た現在、熊本市中心部のアーケード街にある「こむらさき」の上通中央店。午後6時、夜の営業がスタートすると同時に続々と客が入ってきた。忙しく動きまわる禅さんから差し出された一杯-。

 もやし、キクラゲにチャーシュー。そして熊本ラーメンの代名詞であるニンニクチップが振ってある。白濁スープはあっさりで、ほのかな豚骨の香りがする。後からニンニクのうま味が押し寄せてきた。「創業から1、2年後ですかね。何かが足りないと揚げニンニクを入れるようになったそうです」

 「三九」を訪れた3人はその後、熊本市に戻り、熊本ラーメンの歴史をつくっていく。木村さんは、現在も老舗として人気が高い「松葉軒」を創業。重光さんは「桂花」をへて、今や全世界に店舗展開する「味千ラーメン」を立ち上げた。安敏さんは54年10月に「こむらさき」を開店させた。

 禅さんが店に関わりだしたのは26歳の頃。当時、売り上げが落ち込んでおり、東京から呼び戻された。サイドメニューの拡充などで売り上げを回復させると79年に上通中央店をオープン。88年の株式会社化に合わせ正式にバトンを受け継ぐと、94年には新横浜ラーメン博物館(横浜市)へ出店し、熊本ラーメンの知名度を全国区に押し上げた。

 「昔の味を守るのは難しいですか?」。老舗の2代目にそう問うとこう切り返された。「お客さんの舌もどんどん肥えてきている。当然昔より数段おいしいラーメンですよ」。禅さんらしい答えだ。 (小川祥平)


=2015/06/18付 西日本新聞朝刊=

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